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第四十四景 長い間思い出さなかった話③

東京での最後の半年は悠々自適だった。就職先も決まり、単位も取り終え安心した僕は、怠惰な生活を送った。近くのコンビニにバイト先を変え、彼女が仕事に行ったのを確認して起き、バイトに向かう。

夕方にはバイトが終わり、夕飯を作って帰りの遅い彼女をゲームをしながら待った。時には迎えに行った。仕事終わりに彼女と向かい合って飲むビールと食べるご飯は最高だった。あれを幸せと呼ばずに何を幸せと呼ぶのだろうか。

ある日、彼女が3匹の生まれたばかりのまだ目の開いていない小さな猫を持ってきた。仕事の関係で引き取ることになったそうだ。彼女の独特の感性でそれぞれに名前をつけた。ドラッグストアで子猫用のミルクを買って飲ませた。

僕達は母猫にはなれず、1匹ずつ死んでいった。最初の2匹は淡々とアパートの庭に埋めたが、最後の1匹はそういうわけにはいかなかった。1番長く過ごしたこともあり、ふたりでぼろぼろと涙を流しながら、そして謝りながら、2匹のお墓の隣に埋めた。彼らは世界を見ることは出来ず、暗闇の中で一生を終えることになってしまった。

自転車で井の頭公園にもよく行った。時にはお弁当を作り、池の近くのベンチに座って食べた。時にはマックやケンタッキーを買った。吉祥寺の商店街では靴をよく見た。

バイトからの帰り道、すごい破裂音がした。何の音か分からず、自転車から降りる。タイヤがパンクした音だった。残りの期間のことを考えると、修理するにも、買い替えるのも面倒でそのままになってしまった。

自転車に乗る彼女を走って追うことが多くなった。まるで部活だ。その最中に大きなケンカをし、自転車に乗る彼女はどこかへ行ってしまった。電話もメールも繋がらず、途方に暮れた。

アパートの近くの川沿いのベンチに座り込んで水面を眺めていた。数時間経っても音沙汰がなく、この世の終わりを感じた頃、連絡がきた。怒ったことを忘れたように帰ってきた。花屋で花を見てたらどうでもよくなったみたいだ。

その後の日々も、ビールを飲みながら等々力渓谷を回ったり、深大寺の砂利道を踏みしめて遊んだり、色々なことをした。帰りは決まってお気に入りの猫に会いに行った。

そんな東京での日常は楽しいものだった。卒業祝いにサプライズでお寿司を取ってくれた。友達がいなかった僕は卒業を祝われて驚いた。彼女は人を喜ばせるのが好きだった。

卒業式に合わせて両親が来たので、荷物を持って行ってもらった。後日、彼女の母親が上京し、彼女の帰り支度を一緒にした。机もなくなったがらんとした部屋で、彼女の母親が作ってくれたご飯を3人で囲んで食べた。

彼女は仕事の引継ぎがあり、僕が最初に帰ることなった。一緒に東京に出て、一緒に地元に帰る。お互い実家に帰った。気が付けば付き合って6年の月日が経っていた。漠然とこの人と結婚するんだろうと思っていた。

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