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第九十六景

保育園に行くのも、小学校に行くのも、中学校の部活に行くのも苦手だった。よくお腹が痛いと嘘をつき、ずる休みをしていた。保育園に行きたくなかった理由はよく分からないけど、小さい子供が好きそうなお遊戯会やみんなでする大縄跳びが出来なかった。お遊戯会では、みんなが楽しそうに覚えた振り付けを披露している中、ひとりでなにもせず突っ立って、座っている母を見下ろしていた記憶があるし、大縄跳びは上手く流れに乗れず、縄に引っかかってしまうのではないかと恐れて、その遊びが始まると、目を背けていた。根底には、誰かに見られるということが恥ずかしいという気持ちがあったのだと思う。

小学校は給食に肉が出るのが嫌だった。脂身の部分が全く食べられず、いつもこっそり机の引き出しに仕込んだハンカチの上に素早く隠した。ハンカチに包まれた肉は、家の畑の肥やしになった。たまに先生が順番に回ってきて、一緒に食べるのだけど、その時に限って、脂身の大きい肉が割り当てられる。残すことも、食べることも出来ない意気地なしの僕は、いつものように机の引き出しに隠した。運悪く、先生に見つかり、普通に怒られた。怖かった。それ以降ハンカチに包んで、肥やしにすることは出来なくなったのだけど、食べることのできない肉をどう処理したのか、よく覚えていない。極力、脂身の少ない肉を当番の子に選んでもらったのか、誰かに食べてもらったのか。

そういう出来事もあって、学校に行くのが嫌になった。行っても出来るだけ早く帰りたくて、授業が終わったあとは友達と遊ばないで、どれだけまっすぐバスに乗れるかが勝負だった。低学年の頃は家が好きだった。でもいつしか、放課後にボール遊びをしたり、内緒でお金を持っていき買い食いをしたり悪い友達も数人出来た。いつか、買い食いがばれて、先生に呼び出されて、苦しい言い訳もした。なぜばれたのか不思議に思ったが、密告したのは、ランドセルにガブリチュウの空袋が入っていたのを発見した母だった。

中学の時は野球部だった。意味もなく高圧的な先輩とユニフォームに着替えるのが嫌過ぎて、雨が降って欲しいといつも思っていた。1~2年早く生まれたからってなんなのだ。何が偉いんだよ。僕たちが虐げられる理由なんてなかった。そういう伝統みたいなものが蔓延っていて、なにもかもぶち壊してやりたいと心の中で思っていた。上下関係というものには今でも慣れない。誰にも偉そうにしないから、僕にも偉そうにしないで欲しい。気を遣って欲しいオーラが出ているのは分かるけど、自分で出来ることは自分でして欲しいんだ。

こうやって小さい頃を思い返してみると、外部への折り合いのつけ方が上手くなっただけで、中身はそれほど変わっていないように思う。こんな自分でも愛してあげて、自信をもって生きていくよ。


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