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第七十四景

大きな駐車場に車を停めようとすると、混雑した通路で誰かとぶつかるかもしれないし、帰りに駐車場から道路に出るときに、手間取ってしまうかもしれない。

そんなことを頭の中で考えながら、車を左折させようと、ハンドルを左に切った。結局、少し歩くことにはなるが、大きな駐車場の近くにある小さな駐車場に車を停めることにした。

隣に座っている薄い黄色のワンピースを着た彼女は、手に持っていた麦わら帽子を頭に乗せ、車から降りようと、ドアノブに手をかけた。エンジンを切り、冷房が止まって、外から入り込む日差しが強まったように感じた。

ドアを開けた途端、むわっとした空気が身体を包み込んだ。お互いに顔をしかめ、車から降りると、しゃりしゃりした細かい砂の感触が、履いたサンダルの底から伝わってきた。

大きな駐車場の場内は車で混雑していて、停める場所は数か所しかなった。夏場は駐車場の中で、かき氷を売っている屋台があることを思い出し、見渡したら、いつもと同じ場所にその屋台はあった。

海産物を売っているお店が立ち並んだ横丁には、色んな人の顔が所狭しと敷き詰められていた。横丁のある道の方へ渡ろうと、横断歩道の前に立ち、車が途切れるのを待っていると、店先で焼いた浜焼きの焦げたような、海のような匂いが漂ってきた。

係員に誘導され、反対側に渡ると、喧騒の中にいた。上を見上げ、目的の店の看板を探した。それと思しき店の店内はちょっとした魚市場のようになっていて、外から入り込む熱気が、より一層、魚の生臭さを際立たせていた。

ここ数週間の僕は、頭の中に薄い膜が張り、どれが現実なのか分からない状態でいた。彼女の話が本当なのか、嘘なのか、判断することもままならなかった。

ご飯を食べる気力が湧いてきたから、海鮮丼でも食べに行こうという話になって、見つけたのがこの魚市場だった。氷の上に置いてある死んだ魚を見ながら、奥の方へ奥の方へ歩いた。

パックに詰められたお寿司や海鮮丼が置いてあるコーナーに辿り着いた。人のブログか何かで調べたのよりも、インパクトに欠けるものがそこにあった。おもむろにそれを手に取り、お金と一緒にレジの人に渡したら、袋に入れられて返ってきた。

どこかで食べようと思い、市場の裏口から横丁の反対側に出た。猫が居そうな雰囲気があったが、雰囲気だけだった。魚の入っていた箱が、きれいに洗ってあって立てかけられていた。

無言で前に進んでいると、前方の海岸沿いに広場みたいなところがあった。ベンチくらいあるだろうと予想できた。なにも考えずにそこに向かうと、何かの木の実が乗ったコンクリートのベンチがあった。

木の実を手で払い、座ると幾分ひんやりしていた。袋を広げて、パックを取り出すと、軽くなった袋が風で飛ばされそうになった。慌ててパックの蓋を取り外し、それを重しにした。

割り箸を割ると、片方に偏って割れた。彼女は海鮮丼を美味しいのか、不味いのか分からない表情で食べ続けたが、食べきれず、ねぎとろの部分だけを残した。

箸でそれをつまみ、口に入れると、ねっとりしていて生臭かった。その瞬間、強い風が吹き、彼女の頭に乗っていた帽子を吹き飛ばした。

僕は魚の生臭さを誤魔化すように立ち上がり、風に飛ばされた麦わら帽子を追いかけた。

帽子を取り、振り向いて見た彼女の姿はぼやけていた。

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