大切にしてきたもの

私がこの地域に移住してきて、障害者就労支援の仕事を始めたのは約7年前になる。

2人の子供を望む大学へ送り出し、
自分自身の生き方について見つめ直す期間を経て、
子育てをして感じていたことを活かせる道として歩み出した。

弟がいる地だったから選んだ移住先だったが、
弟はやむを得ぬ人事異動により転勤

頼れる身内が誰一人いない地で、
私を理解し信頼してくれる者と二人で新しい事業をスタートさせた。

よそ者で仕事は新参者。
最初は不安と孤独の中でただただがむしゃらに進んだ。

ずっと一貫して貫いたのは、
誠実さと親目線での愛情。

誤解されることもあったし、孤独を感じることも多かったが、
私は自分の中で、この地で生きていくと決めた時、自分に誓ったことがある。

誠実であること。
親としての愛情を持って人と接すること。

時には他人のお子さんでもダメなものはダメ
と厳しく対応してきた。

時には実の親御さんが投げ出したことでも、
私がしっかり手を離さずに見守ることもあった。

私ができることは
自分の子供と同じように、人と接すること。

法律で罰せられることはなくても、
自分を信頼してくれる人たちを裏切るような行動や言動は決して許さない。
そこには、どんな言い訳があっても認めてはならない
親としての責任があると考えている。

やったもの勝ち
言ったもの勝ち

そう感じる出来事が世の中のニュースにも多くなっている気がする。

一方で目立たなくても温かい心で寄り添い、
見守ってくれる愛情は確かに存在していると思う。
でも、この愛情は決して派手で見つけやすいものではない。

ともすれば、気づかず見過ごされがちなのかもしれない。

今年は1月頃から、愛情を持って見守ってきた者に対して
モヤモヤする気持ちを持ちながらなんとなく
『大丈夫』と自分に言い聞かせて過ごしてきた。

信頼している気持ちを言葉にして伝えていたし、
私の親目線での愛情を受け止めてくれる器がその者にはあると信じていた。

日が経つにつれ、抱いているモヤモヤが大きくなっていく。

なんだろう、このモヤモヤした違和感。

とうとう夏頃、私はこの者に対して信頼できない、と感じるところまで来てしまった。

直接的な原因はない。
ただ、なんとも言えない違和感。

そして、年の瀬も迫った12月上旬
信頼していた者の私の信頼を裏切る行為を知ることになった。

今年初めから感じてきたモヤモヤは、
私の中のアンテナが
信頼しようとした者の不実をキャッチしていたからだったようだ。

我ながら人を見る目の感度の良さに驚く。

私が見つけた宝物の集まりの中に、
この不実な者が所属している。
キラキラ輝く宝物の集まった箱の中で
宝物を汚し濁らせる者。

宝物が集まっているのに輝きが小さい。
なぜだろう。
それぞれが輝こうと集まっているはずなのに
どうも輝ききれていない。
不協和音が見える時さえある。
なぜだろう。

私が近くで見つめる宝物たちは日々自らを律し磨き
見ている者を感動させてくれる。
ただ、黙って自らを磨く日々。

宝物の中には濁ったものが混じっている。
ずっと気になっていた、大切な宝物の詰まった箱。

濁っている者はさも誠実に考えているかのような意見を口にする。
箱の所有者は、汚れた者を見つけても
改めて洗い磨くために箱の中に戻しておくという。
それが所有者としての責任だからと。

察しているかのように宝物が箱の中から消えていく。

自分の欲のために私や会社の同僚の信頼を裏切った者が、
そのままの放置状態で光り輝くはずがない。

私は変わらずキラキラ輝く宝物を見守りたいし、
ずっと私のできる方法で磨き続けたいと思うが、
濁らせる者がいる限り、宝物の箱を開けて見ることができない。
箱を開けて濁った者を目にするたびに
信頼を傷つけられた傷が痛むからだ。
信頼していた分 傷は大きい。

濁った者が自ら箱の中から去ることを望む。
去らないのであれば、箱の持ち主の手で、濁った者を取り出してほしい。

キラキラした宝物は、
濁らず、キラキラした宝物であり続けて欲しい。
今あるキラキラした宝物、新しく追加される宝物。
ずっと磨き磨かれ続け、キラキラと輝いてほしいと願う。

キラキラ輝く宝物たちは同じ箱の中にいる濁った者の真実の姿をまだ知らない。
自分たちと同じようにもっとキラキラすると思い、
自分たちと同じように誠実に
信頼を寄せる私たちに対して
頼もしく思い、これからもお互いの信頼関係を強くしたいと思っていると
濁った者を信じているはずだ。

濁っている者は仲間をも傷つけることになると自覚すべきだ。

私の仲間が濁っている者に言い放った。
大切な私たちの敷地に一歩たりとも入るな、と。
濁っている者は、
何をそんなに怒っているのかわからない
と言い返したそうである。

言葉でどれだけまともなことを言い、夢を語り、あたかもあなたのことを考えていると言ったとしても
己の行動を正当化し、信頼を裏切ったことへの反省が伴っていないのであれば全て嘘である。

己の夢のために、時間とお金を提供し応援してくれた者たちの信頼を裏切ったことを、無かったことにできるはずない。

人の心は見ることは出来ないが、
その行動を見ればその人の本音が見える。

本音は他人の手によって磨かれることはない。
自らが己を律し、自ら行動し、大切な人たちを傷つけないように行動することでしか、反省を表すことはできない。

やった者勝ち
人に信頼を踏み台に己の欲を満たし、
言葉巧みに自分のやったことを反省していると表現する
反省を行動で現すならどうすべきか。
宝物たちを傷つけず、宝の箱をより大きく強い箱にしていくには、
己の欲だけ満たした者はどう振る舞うべきか。

宝の箱から去れ

濁っている者が箱からいなくなったら
私は再び宝の箱を開けてキラキラの宝物を見て、
お互いに磨き磨かれるのを見たいと思う。

その日が来ることを願うばかり。

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