普通、一般って何だろう?
習い事を全て辞めたら、土曜日に平和が戻った。
バイオリンも、スイミングスクールも、これから面白くなるところだと思っていたので、私の残念な気持ちは、完全には抜けなかった。でもそれ以上に、私には静かな週末のほうがありがたかった。
娘が嫌がることは、その理由が親である私に伝わらなくても、何か意味がある。そう思った私は、夫が何と言おうと、娘が嫌がることを無理強いすることをやめた。
「やらなきゃいけないの?」
時々会う、同じ年齢の子を持つ近所のママさん達との話題は、ゴールデンウィーク明け頃から、七五三だった。着物はどんな色柄にするか、どこでレンタルするとお得か、写真はどこで撮るか、前撮りするかなど、私も訊かれた。
娘の七五三について、私も考えていないわけではなかった。ただ、着物を着るのを嫌がる娘に、着物を着せようとは思わなかったことと、写真撮影も嫌がっていたので、もしお詣りできたら、その場でスナップ写真が撮れればいい、と考えていた。
そう話すと、ママさん達は驚いて、
「えーっ?1度しかない7歳の記念だよー。着物を着るように説得しなよ。『可愛くしようよ』とか『メイクできるよ』とか『着たら素敵な写真も撮れてモデルさんみたいだよ』とか言えば、乗ってくるよ」
とアドバイスをくれ、さらに
「『ママのために着物着ようよ』って言ってあげる」
とまで言ってくれた。
お友達と遊んでいる時に、ママさん達から七五三の着物や写真のことを勧められた娘は
「七五三って、やらなきゃいけないものなの?私はやりたくない」
と言った。
前にも書いたが、娘はご褒美で釣られず、おだてにも乗らない。せっかくのアドバイスだったが、娘には全く響かなかった。
思い込みのワナ
11月になり、週末には着物姿の親子連れを目にすることが増えた。夫は、着物を勧めていたが、私が着物の準備を何もしなかったので、諦めた様子だった。
ただ、色々あるものの、7歳まで無事、元気に育ってくれたことを、神様に感謝したくて、私はお詣りにだけは、行きたかった。そう話したら、
「お友達に会わない日ならいい」
と娘が言ったので、ピークの日にちを外して行くことにした。
当日。
身支度も終わり、玄関を出ようとした時、娘が言った。
「保育園の近くの◯◯神社、久しぶりだなぁ」
はぁ?何を言ってるんだ?という気持ちで私は、
「違うよ。保育園の近くの神社では、今日はお詣りやってないから、少し離れた神社だよ」
と答えた。規模がある程度大きな神社でないと、ご祈祷はやっていないので、まさか娘の中で、保育園の近くの神社が思い浮かんでいるなどとは、私は想像もしなかった。
娘には、それがあまりにも衝撃が大きかったようで、
「それなら嫌だ。やっぱり、行かない!」
また始まった。こうなったらもう、お詣りもあきらめるしかない。予約しなくてよかった。どうしてもお詣りしたいなら、私が一人で隙間時間に行けばいい。そんなことを考えた。
夫も、娘の行動範囲にない神社を、当日になって突然伝えたら、嫌がるのも当然だと言った。
「じゃ、やめようか」
私は部屋に戻り、普段着に着替えようとした。
すると
「ママ、、、お詣りって、お獅子は出てこない?怖くない?怖くないなら行く」
と、背中から娘の声がした。
振り返ると、不安そうな顔でもう一度「怖くないなら」と娘が言った。
夫が
「お獅子はいないよ。神社の建物の中には靴を脱いで入るけど、そこで神様のお使いの人が、お歌歌って、お祈りしてくれるだけだよ」
と説明し、七五三シーズンもピークを過ぎたから、参拝者も少ないと付け加えた。
娘は少し安心したように「それなら行ける」と言った。
予定時刻は1時間以上過ぎていたが、私たちはやっとの思いで、玄関から出ることができた。
まさかのズッコケ
前向きになってくれた娘の気持ちに感謝し、娘の不安を拭う説明をしてくれた夫に感謝し、いざ、車を出そうとしたら、エンジンがかからない。
夫が気づいた。
「昨日、ヘッドライトつけた?」
・・・・つけた。私が、暗い時間に車を出した。
・・・・・ライトを消した覚えがない。
あーっ!!!
せっかく娘が行く気になったのに、出鼻を挫くとは、まさにこのこと。
ヘッドライトを消さずにエンジンを止め、一晩放置してしまったのは、実は2度目。バッテリーがあがり、車は動かなくなっていた。
この日に限ってやってしまうとは・・・私はショック過ぎて、何も考えられなかった。
「ママ、やっちゃったねー。タクシーで行くしかないね」
ニヤニヤ嬉しそうに笑い、そう言ったのは、娘だった。夫も呆れて笑っていた。
一般論を考える
七五三は、やらなければならないのか。
着物を着て、写真を写真館で撮らなければならないのか。
私は娘に問われてはじめて、七五三の意味を調べ、言い方は悪いが、七五三商戦に気づいた。周りがやるから、みんなが着物を着るから、記念写真をプロに撮ってもらうから、同じようにしないと娘がかわいそうだと、実母に散々言われたが、果たして本当にそうなのだろうか。今回もまた、世俗に流されるところを、娘に考える機会をもらった。
無病息災に感謝はしたい。神社に行ければそれに越したことはないが、行かなかったからと言って、感謝の気持ちを表せないわけではない。そしてさらに言うならば、七五三という行事にこだわらなくても、感謝を表せる場面は、日常にたくさんあるはずだ。
世間一般的に良いとか、やるべきだと言われる行事、習慣、行動はたくさんある。知らず知らずのうちに、それらを疑うことも、意味を考えることもなく「そういうものだ」と受け入れてきたが、今、私はそこに、大きな自分の転換点を迎えている。特に、育児や教育の過程で「こうすべき」「こうしたい」と親が思うことは、実は子どものためではなく「親のため」であるような気がしてならない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?