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「ためらい」がもたらすもの

いつになく短い夏休みが終わった。

学校に行っていない娘にとっては、夏休みも、そうでない日も、さほど過ごし方に変わりはなかった。しかし、臨時休校にしろ、夏休みにしろ、子どもたちが登校しない日々は、私の気持ちに確実にゆとりをもたらした。

外出自粛の夏休み

夏休みに入った途端、近所で新型コロナウィルス感染者が出たという情報が流れた。娘は、夏休みになってお友達と遊ぶことを楽しみにしていたが、親たちは警戒し、子ども同士を遊ばせることを避けるようになった。

公園に行っても、子どもの姿はまばら。酷暑なのに、プールも休業になっており、室内で遊ぶことを余儀なくされてしまった。

私の実家への帰省を楽しみにしていた娘だったが、帰省先の感染者数の増加と、自治体が独自に出した緊急事態宣言のため、帰省も取りやめになった。

娘は意気消沈。

私も、夏ならではの山や海への遠出を楽しみにしていたので、何をして過ごそうか悩んだ。外遊びをさせたかったが、暑さに私がついていけなくて、せいぜい、近所をサイクリングする程度だった。

毎日都内に出勤している夫は「県外に出たらだめだ。車のナンバーを見たら、あおり運転に遭ったり、何をされるかわからない」と言っていた。電車で出れば、どこから来たかなんてわからないと思ったが、行きたいと思う場所は、電車では不便なところばかりだった。

とはいえ、自宅で過ごす時間だけで夏休みが終わることに、私は耐えきれなかった。県内で、何とか夏休み気分を味わえないかと、出かける先を必死で探した。

一つなくなった「ためらい」

家族で遠出したのは、1月のスキー以来だった。あの時は、まさか、外出自粛のような事態になるなんて想像もしていなかった。

久しぶりの、家族三人での外出。娘は終始ご機嫌で、私も外の空気を吸い自然に触れたことで精神的に安定した。夫も、頭痛を引き起こすことなく、笑いにあふれた一日を過ごすことができた。

私が探し出した行き先に、夫が賛同してくれたこと、楽しい一日にも、感謝だし、「ここに行きたい」と言えたことも、私は嬉しかった。

この夏、夫の仕事は多忙を極めていた。毎晩、午前様の帰宅が続き、夏季休暇取得もなかった。そんな夫に、以前のペーパードライバーの私は、長時間の運転をお願いすることを「悪いなぁ」とためらい、行きたいと言い出せなかった。なのに、夫が疲れている「せいで」、出かけたくても出かけられないと、勝手に不満を抱き、被害者になり、何かのタイミングで爆発させていた。

今は、運転にも、あんなに苦手だった駐車にも、ほぼ不安がないので、いざとなれば自分で運転すればいいと思える。だから今回、「行きたい」とためらわずに言うことができた。

こんな風に、思いやりを装った我慢を、私は続けてきたのだ。我慢が不満につながる「ためらい」には、何もいいことはない。

運転ができるようになり、たった一つではあるが、私は「ためらい」をなくすことができた。

ためらう「癖」の目的

相手に言いたいことがあるのに、つい黙ってしまい、言わない選択をしたのは自分なのに、我慢させられたと解釈し被害者になる癖。いつ、身につけてしまったのか。なぜ、黙るのか。

思い当たる過去の記憶がある。

小学生の頃。

私はバスケットボールがやりたかった。でもそれを、親には言えなかった。なぜなら、母に、体育の時間にバスケットボールをやった話をして、突き指をしてピアノが弾けなくなったら困る、と言われたことがあったからだ。

確かに治るまでの間、私はピアノの練習に困るかもしれない。でも、治るし、致命傷にはならない。治ったら練習を再開すればいいし、練習できなかった期間の遅れなど、取り戻せる範囲だ。

だが当時の私は、「私がピアノを練習しなったら、『母が』困って、私が怒られる」と思い込んだ。この思い込みは、その後も私の中にずっしりと重くのしかかっていた。バスケットボールをやっている友達がうらやましく、「やりたい」と言ってもいないのに「やらせてもらえない」と、やらない理由を人のせいにしていた。

相手が「母」でなく、大切にしたい人であればあるほど、自分の意思を伝えたら、相手が困るのではないかと想像して、言い出せなくなった。そして、無意識に「私はかわいそうだ」と感じて不機嫌になるのだ。

遺伝・・・?

そんな私を見て育っている娘にも、似たようなところがある。

カレンダーを見ながら、今週の予定を娘と確認していた時のこと。その週は、娘を寝かしつける時間帯から始まるオンライン勉強会に参加する日があった。

「今日は一緒に寝られないんだよね」

「パパの帰りは遅いんだよね」

娘はその日、何回も、私に確認した。

「一人で寝られるかなぁ」

「心配なの?」

「大丈夫。ママは集中していいよ」

その時間になった時、娘は静かに

「おやすみなさい」

と言い、布団に入ったが、しばらくすると部屋から嗚咽が漏れ聞こえてきた。

気になって様子を見に行くと、糸が切れたように泣きじゃくった。

そんなに我慢しなくても・・・そう思い、娘にも伝えたら、

「一緒に寝たいって言ったら、ママが困るから、がんばらなきゃって思ったの」

・・・私と、同じだった。

子どもは、母を困らせたくないものなのかもしれない。困らせないため、とはいえ、勇気を出して一歩前進することもあるから、一概に「親を困らせないために子どもが取る行動」を、我慢と決めつけるつもりはない。不満につながるとも限らない。

ただ、その行動を取る時の子どもの気持ち、感情、本音に気づいて、寄り添える親でありたい。

子どもの意見にすべて賛同できるわけではないと思うが、親と考え方が違っても、何を言っても大丈夫だと子どもが感じられる家庭環境を作るのが、私の使命でもあり、私を親にして、気づきを与え続けてくれる娘への、感謝の表現になる気がする。

そして、私の中にまだ多く残っている「ためらい」を、ひとつひとつ手放すために、伝えたいことができた時に「ためらい」があるかどうか自覚し、もしあったら、大切な人を困らせるという想像をやめ、困らせていない想像に書き換えよう。癖を変えるのは、私自身だ。

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