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クラブでナンパはご法度なのか。これまでのクラブカルチャーから考える。

Instagramで好きなアーティストばかりを脳死で眺めているせいだろうか。
いつの日からかThreadsでも音楽系のポストが多くサジェストされるようになってしまった。その中でもTLを席捲している話題が、“DJ論”である。日本中のDJが熱く音楽論を語っているものだから、つい画面をスクロールする手が止まらなくなってしまう。そんな中、とあるDJの言葉が目に留まった。

「クラブって場所を勘違いしている人が多いから言うけどクラブはナンパするとこじゃなくて音を聴いて自分なりに踊りとかで表現する場所だと思う。ナンパはその箱やイベント主催者、DJに対して失礼。異論は認める。」

音楽への純愛ポストだと思った。音の周りには音を愛してやまないものだけが集うべき…といった感じだろうか。良くも悪くもクラブを神格化しているような印象も受ける。

かくいう私もクラブへ行く目的といえば、好きな音楽とお酒で自我も忘れるほど踊り、舞い、高ぶる感情に身を委ねたまま爆散したいからだ。そういう純粋な気持ちでクラブへ出かけた矢先、ナンパ目的でフロアを大旋回しているニキから足止めされたら1、2歩は後ずさりしてしまうかもしれない。

しかしながら、クラブナンパは一般的にタブー視されているのかといえば答えは否。ごく稀に注意事項として「ナンパ禁止」を掲げている箱も存在するようだが、滅多にお目にかかれない。それどころか、クラブと聞いて「ああ、出会い目的の人が集まる遊び場だよね。」とギラギラした印象を持つ人も多いくらいだろう。世間では、クラブ=ナンパという連想方程式が出来上がってしまっている。

もしも上記DJの ”クラブは音を聴いて踊りなどで表現する場所” “ナンパをする場所ではない" という発言が的を射てるのなら、現在のクラブシーンは数々のナンパ師によって無法地帯化してしまった末路なのだろうか。というか、クラブって本来どんな目的で誕生したんだっけ?音楽?社交の場?頭が錯乱してきたので、これまでのクラブカルチャーを振り返りつつ考えをまとめることにする。前置き長すぎだろ…どうなってるんだよ。

クラブカルチャーの礎となった ”ジャズクラブ”

クラブカルチャーを語るためには”ジャズクラブ”の存在が欠かせない。ジャズクラブは1940年代、第二次世界大戦後のアメリカで大きな盛り上がりをみせた。1940年代はジャズ史における大きな転換期とも言われ、かつてのポピュラリティを失ったスウィングジャズにかわりビバップが流行した。

Charlie Parker with Thelonious Monk " Well You Needn't " 1948

ビバップ創始者として有名なCharlie Parkerと私の好きなThelonious Monk

ジャズクラブではライブ演奏とダンス、社交が盛んに行われていた。特に、コミュニティの中心地として大きな役割を担っており、アフリカ系アメリカン文化の表現の場として、また異文化間の交流の場としての機能を果たしていた。

つまりこの頃から、クラブは単なる音楽の場に留まらず社会的、また文化的な意義を持っていたと言えるだろう。

クラブカルチャーの重要な転換点

1970年代、ディスコミュージックの登場である。これは、クラブカルチャーにとって重要な転換点であった。ディスコミュージックが全面的にクラブシーンを席捲し、ダンスと社交を中心にした娯楽の場を提供した。また、ディスコブームはその他にもファッションやナイトライフにも大きな影響を与えたと言われている。

ここでもクラブは単なる音楽の場ではなく、集いと楽しみの場としての役割も担っていた。特に、LGBTQ+コミュニティやマイノリティの人々にとって、クラブは自己表現の自由を享受できる場所として浸透していった。

技術の発展により音楽スタイルが多様化し、それに合わせて人々の趣向も広がる。常に新しい風が吹き続ける空間だからこそ、マイノリティ文化などもカジュアルな感じで受け入れられやすかったんじゃないかなと思ったり。

Hollywood movie 'Saturday Night Fever '(1977, USA)

みんな大好きSaturday Night Fever!Stayin' Aliveはいつ聴いても色褪せない名曲。踊りたくなってきた・・・♪

ディスコミュージックの衰退

一世を風靡したディスコミュージックだが、1980年代初頭よりブームは次第に衰退。しかし、ディスコの影響は後のハウスミュージックやダンスミュージックに引き継がれていく。

その後、1980年初頭にはシカゴでハウスミュージックが誕生。電子音楽が普及したことにより、クラブシーンに新たな息吹をもたらす。この頃にDJ文化も大きく発展していき、DJがクラブの主役となり群衆を導く存在となった。

レイブカルチャーの浸透

90年代にはテクノとレイブカルチャーが流行。レイブとは大規模なダンスイベントのことであり、主にテクノミュージックなどの電子音楽が流れていた。特にイギリスではレイブカルチャーが爆発的な人気を博しており、この動きは社会に新たな若者文化としての波をもたらした。またレイブでは、異なるバックグラウンドを持つ人たちが一堂に介し音楽とダンスを通じて共感し合う場所としての機能を担っていた。

90年代以降はEDMなどに発展していくのだが、あまりにも長くなりそうなので今回は割愛。

クラブカルチャーを振りかえって

これまでの歴史的経緯から、クラブは1940年代から現在に至るまで音楽を目的にする人に限らずコミュニティの場として多くの人を繋いできたことが分かった。クラブがかつてマイノリティ文化を表現する場として、あるいは異文化間の交流の場として親しまれてきたように、大小を問わずクラブから新たな出会いや文化が生まれ発展していくことは珍しくなかったのだと思う。

そう考えると、どんな目的であっても、もしくは目的がなくても、皆が受け入れられる場所であるのがクラブの本質なのかもしれない。こうしたオープンな場だからこそ、面白い何かが生まれる。SNSで出会うのとは訳が違う。薄暗い空間、脳に直接響く大音量の音楽、日頃出会うことのない人々…一般社会とはかけ離れた空気が、私たちの胸をときめかせる。普段の堅苦しい生活から解放させてくれる。そして良い出会いに繋がっていくのだ。

もちろん強引にナンパをするような客はつまみ出されて当然だけどね。

余談 DJ論について

私は音楽好きの端くれ者に過ぎないため難しいことは何一つ分からないが、ThreadsのDJ論は見ていて面白い。
なんだか、好きな人のタイプでも聞いているような気持ちになる。僕の好きなタイプは背が高くて、笑顔がチャーミングで・・・みたいな。恋愛でいう「好きなタイプ」は音楽でいう「好きなジャンル」、「こんな店でのデートは嫌い」なら「こんなクラブは嫌い」のような感じ。たまにDJ間で意見がぶつかり合い論争に発展している様子も見かけるが、音楽が好きで好きで堪らない者同士の「愛の衝突」なのだ。
そんな奇妙な事を考えつつ、今日もThreadsのTLをスクロールする___。



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