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小さな環境。

昨日、家の周りに咲く花を束ねて花束を作った。ここ数日で咲き始めた彼岸花や名前もわからない雑草を歩きながら摘みながら、花束と同じように色合いや花の向きをみながら束ねて、キッチンに飾る。

夕方、帰ってきた息子が花束に気付いて「あれだね、この前の花だね。猫ジャラシも入ってる」と。この前、庭の彼岸花が「もうすぐ咲きそうだね」と話していたのを覚えていたようで、嬉しくなる。

最近少し花に興味があるようで、気づくようになってくれた。将来の夢は「花屋さん」なんて言うこともあり。一番身近な仕事として「花」をとらえているようでもある。何もなくても花を摘んで飾ったり、私の仕事であるリースやスワッグ作りを一番そばで見ているからかもしれない。思春期の男子にしては少し乙女チックな夢のような気もするが、私の友人のフローリストは高校生の時に花屋さんでアルバイトしたのがきっかけで花の道を進んだと話していた。もしかするとそんな未来もあるなかもと、不思議な感覚になる。

自分を取り囲む環境の大切さ、環境の力の大切さ。日々の生活の中、学校や職場などで聞こえてくる話し声が、ポジティブなものなのか、ネガティブなものなのか、小さな積み重ねが後々の思考や行動の判断基準となるように思う。

それは自分自身へどんな声をかけるかということも。自分を信じて励ます言葉をかけるのか、ダメだと落ち込む言葉を自分にかけるのか。他人からの言葉はそれ自体を選ぶことは出来ないけれど(受け取らない選択は自分にある)、自分が自分にかける言葉はいつでも選ぶことが出来る。

言葉も行動も自分で選び、進む。

自分の人生の選択権を持ち、進もう。

多感な時期の息子には、この家庭という小さな環境の中で、本人にとっての良い環境を整えて、言葉をかけていきたい。もちろん受け取る自由、受け取らない自由も彼にある。


ごこち


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