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いかに生きるか。

4年前の今日に、こんな記事を書いていました。

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読み直してみて、思ったことを書いてみます。

時間は有限。

人は生まれて死ぬ。
生まれた瞬間から刻一刻とカウントダウンが始まり、
時間はどんどん無意識に過ぎ去っていきます。

人生80年として、あとどれだけの時間が残っているのか。
いや、80年かもしれないし、60年かもしれない。
100年かもしれない。

こればっかりはわからない。
寿命というものがある。人は、いつ死んでもおかしくない。

そういうふうに考えると悲壮感が出てしまうものですが、
どうせ限られた時間、限られた命なら、
満足感幸福感を感じて過ごしたいですよね。

いつ死んでもおかしくないなら、後悔しないように生きていたい。

悲壮感も幸福感も満足感も、自分で感じるものです。

悲壮と感じるか、感じないのか。
幸福と感じるか、感じないのか。
満足と感じるか、感じないのか。

すべて、自分次第。自分のことは自分で決めれる。
今いる環境をどう捉えるのかは自分次第。
今いる環境からどう生きていくかは自分次第。

「今」この瞬間を生きる

「今」を生きることの延長線上に「未来」がありますが、

なんとなく生きる「今」。
生きると決めて生きる「今」。

同じ、今この瞬間、この時間を、この命を、この人生をどう過ごすのか。

時間の質。濃度。満足度。幸福度。

不満を抱えて生きている場合じゃない。
不安を抱えて戸惑ってる場合じゃない。

「今」を生きる。未来に向かって生きる。
とにかく生きる。生ききる。

出会いがあれば、別れもある。

人生には出会いもあれば、必ず別れもあります。

いや、出会いがあれば、いつか必ず別れがあります。

昔は今ほどインフラが整ってませんから、
一度の出会いだけで二度と出会いないことがほとんどでした。

それを「一期一会」と言う。

だから、出会いを大切にした。
だから、共に過ごす時間を大切にした。
その有り難みを知っていた。

出会えば、いつか必ず別れる。

そう考えると、共に過ごせる時間というのは、
とても貴重で有り難いことです。

生きるということは有り難いことである

それは、親、子供、友人、恋人、ペット、、
あらゆる関係性において言えることです。

ただ一緒にいれることが、とても有難いことです。

今一緒に生きれている人、自分の周りにいる人、とても有難いことです。

生きていれば、いろんな人と、いろんな関係性を
築きながら生きていきます。

いろんなご縁に生かされて、活かされていきます。

生かされて生きるし、
生かされて活きるし、
活かされて生きるし、
活かされて活きる。

どんな人と生きるか。

生まれた環境は変えれないけれど、今生きる環境は選ぶことができる。
今一緒に過ごそうと思う人は選ぶことができる。

どんな環境に身を置くことが、
自分を癒し、自分を生かし、自分を活かせるのか。

自分は、誰と過ごす時間を選ぶのか。
自分に、良い影響を与えてくれる人は誰なのか。
自分は、誰に良い影響を与えていくのか。

どんな時間を生きるのか、
どんな今を生きるのか、
すべて自分自身で選ぶことができる。

生きることの意味

父親が亡くなった11年前。
時間が有限であることを実感し、

であれば、やりたいことをやって生きよう、
後悔しないように生きようと決めました。

それで前職を辞めました。

そこから独立して1年経つ頃、東日本大震災発生。

さらに、命の有限さを実感し、
「生きる」という意味、
「生かされている」ということを知りました。

生きたくても生きれない人もいる。
つまり、生きることは自分で選べない。

でも、生きている。生かされている。
「生きる」ことの意味。
「生きている」ことの意味。
「生かされている」ことの意味。

このnoteは、基本的に、
自分が思うことを好き勝手書いているだけですが、

そんな自分の想いや、考えていること、経験が
誰かの何かのきっかけになるのであれば、
生きている意味があるのかなと思っています。

最後までお読みいただきありがとうございます。
あなたの貴重な時間を費やしてくれて、有り難うございます。

これからもご縁があるのであれば、有り難うございます。

人生、有り難し。

今日はどんな「有り難う」があなたの周りにありましたか?

生きていることは、有り難いこと。
すべてが有り難いこと。

感謝。

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