10/22-流れついた場所で
対話に触れ、深め、味わいたい。そういう体験をさまざまな人と分かち合いたい。
そうやって時間を過ごした日は少し朝寝坊した自分も許せるし、そうやって生きられないとやたらと自分に厳しくなる。
この前理性だとか本能だとか言ったけど、ここのところは理性に呑み込まれてうまくバランスが取れなくなっていた。
こういう時、部品の一部ように冷たくなってもともとの、深くにあるあたたかな想いを忘れてしまう。
執着、自分のエゴかも、と思う度「結局、エゴなんかぁ」と少し悲しくなってみるけれど、でも3年も前から、誰になんと言われようと何が起きようと「対話を広げること」ここに流れ着いてしまう。
改めてだけど、なぜ「対話」なんだろうか。
なぜなんですか?と聞かれることもある。一応きっかけみたいなものも用意していて、それは過去、失恋で心が閉じてしまった時に恩師がコーチングしてくれたからなんだけど。
でも、その流れを話しはじめると大学でカウンセリングを学んでいたこともきっかけだし、その前から教員になりたくてそれは対話的な先生っぽいものを夢見ていたのもきっかけだし、そのきっかけになるエピソードもあって…。
とにかく、そうやって生きてきて流れ着いたのが「対話」だったのだ。
最初はとにかく面白くて、本を読みひとりで探究していた。でも徐々に周りのあの人にも触れて欲しいと思うようになり、イベントや対話の場をひらくようになった。そしてもっとたくさんの人と深め、味わいたいと思うようになった。
これからも「対話を文化として広げたい人」がつづくのか、それとも全く違うところへ流れ着いてゆくのか。わからないけれどわからないなりに。
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