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映画「Blade Runner」考察

こんにちは。最近ノートでは、私のおすすめ映画10選とかネットからの引用映画トリビアを羅列している記事が多くてやきもきしてます。私はそのひと自身の感想とか考えかたが聞きたいんですよ!映画はコンテクストも大事ですが、やっぱりオーディエンスの感性だと思うんです。だからといって最高!という言葉で片づけるのもどうかとおもいますけど笑 電通のコピーライターが頭のなかで思っていてもそれを言語化できなければ考えていないのと同じだといっていました。この言葉に対していろいろ思うことはありますが、一理あると思います。ということで、みたあとに言語化しづらい映画ナンバーワン(個人的)「ブレードランナー」を考察していきます!

SF映画とリドリースコットファンなら死ぬほどみてるとおもいますが、僕がみたのはファイナルカット版です。なのであの白昼夢のシーンが入ってるやつです。ストーリーはみている前提ではなすので詳しくは述べません。以後ではぼくの感じたままのことを書いていきます。ちなみに原作の「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」は少ししか読んでいません。

まず、近未来のカリフォルニアという設定でほとんどの人類が実は地球にいないんですよ。なのであそこに出てくる人たちは審査におちて、他の惑星にいけなかったおちこぼれの人ばっかりなんですよ。そんななかで、ある日奴隷用として使われていたレプリカント(言うなれば人工知能をもった人型ロボット)が反乱を起こして宇宙空間から六人くらい地球に隠れ住んでいるという情報がハリソンフォード演じるデッカード刑事の耳にはいってきます。この人はレプリカントを処理する専門の人で、ブレードランナーとよばれてます。めっちゃつよいです笑 ちなみにロボットに恋します。

まずいろいろと話題に上がっているデッカードがレプリカント説。単刀直入にいうと、僕はデッカードは人間だと思います!じゃあなぜ、リドリースコットはあの白昼夢のシーンをいれたか。簡単です。オーディエンスにそういった議論をしてもらうため。それと、デッカードが実は、レプリカントだった疑惑をつくることで、そもそも人間とレプリカントの違いってなに?って考えさせるためではないでしょうか。寿命が三年ならレプリカントですか?液体窒素の中に手をいれても大丈夫であればレプリカントですか?それらはすべて現象にすぎないとおもいます。よく本質と現象を見間違える人がいますがそれです。人間の本質は心でしょ!感情でしょ!それではレプリカントは冷徹な心をもった悪魔でしたか?そんなわけないでしょ!ロイの仲間を殺されたときの表情、奴隷として扱われた屈辱、デッカードをたすける際のエンパシー、一番人間味ありました。なのでこの映画は人間を人間たらしめるものとは何かを問いかけた映画なんだと僕は思いました。2045年のシンギュラリティ問題が騒がれていますが、その汎用性人工知能があらわれた際、そして感情を持ち始めた時、自分自身が人間かどうか疑う人がでてくるのではないでしょうか?エクスマキナの主人公のように。だからこそ、僕は今人間にひつようなのは、宗教と哲学を学ぶことだとおもいます。なぜなら、コンピュータープログラムに信仰やイデア論を理解することは無理だからです。表面的にはデータを入れて知っている風にすることはできますが、、、

そんな遠くない未来のことも考えさせてくれる映画「ブレードランナー」でした。最後に、映画にでてくるあのうどんやのおじちゃんがほんとの日本人かどうかが僕の未解決問題なので、今年中には解き明かしたいとおもいます。

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