カミュ「ペスト」考察

まず、この本について知ったきっかけは、NOTEのある記事を読んで。普段、一見さんお断りならぬ「一聞さんお断り」を貫いている僕にとって初見や初聞の情報に影響されることは少ない。しかし、このノートの記事を見渡すとみんな文才、説得力がありすぐに触発されてしまう。先日とある記事のなかでこの「ペスト」という小説が今の世の中を考える上で必読書になっていることをしり、すぐにキンドルで購入した。

まず、大まかなあらすじを説明していく。まずこの小説は14世紀に大流行したペストの流行によって日常から非日常に突き落とされたヨーロッパを舞台とした人々の群像劇となっている。扱っているのはペスト(別名:黒死病)だが、ようは災害によって自由を奪われる人々という本質に目を向ければ、戦争や天災、現在のコロナウイルスなどとして考えることができる。登場人物は大きく分けて、六人いる。医療従事者のリウー、若い新聞記者のランベール、前科のあるコタール、この状況を日記するタルー、若い小説家グラン、神父のパヌルーだ。彼らの多角的な視点からこの未曾有の大災害の実態を捉えようとした小説が「ペスト」なのだ。さらに、ペストが出現し、”消滅”していくまでの期間での変遷が詳細に書かれている(ここで引用符をつけたのは本当の意味での消滅はないと小説内で示唆してるから)。より詳しい内容を知りたい方はこちらを参考に!

今回も考察をメインに書いていきたいので内容に関してはここら辺までで。この小説を読んで感じたこと、印象に残っていることを2つまとめる。1つは「美が醜を抑圧することの危険性」、2つ目に「絶望になれる怖さ」

まず、「美が醜を抑圧すること」である。これは物語のなかでタルーが保健隊を結成し献身的で美しい行いをした際に書かれているなかで、カミュがこういった行為に対する警戒を示している部分から読み取れる。カミュは”こういった美しい行動を完全な善とみなし、協力できない人を抑圧する空気を作ることはとても危険である”と述べている。これは実際にコロナ禍で著名人が10万円の給付金を受け取らないといったこうどうが一緒くたに善とされている状況に近い。もちろん、お金をもっている人たちが勇気をもってそういった主張をするのは素晴らしい行いだが、問題はそれを美徳とする世論だ。この状況はつまり、お金をもらう有名人や富豪を悪とみなすきらいになりかねないのだ。カミュの危惧している点を現代人も理解する必要がある。

2つ目に「絶望に慣れる怖さ」である。これは小説のなかで、ペストの感染者の数がある一定期間をすぎると横ばいになりあがらず、減らずの時期がくるのだが、人々が当初抱いていた恐怖はなくなり、この状況に慣れていくという描写が描かれる。そしてカミュはこれこそ一番の恐怖だと述べている。人間は適応能力が高く、合理化を素早く行う動物である。そのため、その状況になれることは容易いのだが、それが当たり前になると状況を変えようとしなくなる。その点をカミュは指摘している。現在を見渡してみても、コロナにたいする反応はまちまちである。その中で、一定数の割合でこの絶望的な状況になれてしまっている人もいると思う。毎日、現実に直面するのはとても辛いことだが、こういった時こそ、小説内の医師リウーのように目の前の仕事をこなし、状況改善を図るということが大事なのだと思う。少額でもコロナの影響を受け困っている人々に寄付をしたり、人にうつさないようにマスクをしたり、いつかこの状況が改善するという意識を捨ててはいけないのではないでしょうか?

 この「ペスト」という小説はとても現代に置き換えやすい表題であると感じた。カミュはサルトルと同時期のフランス哲学者で実存主義者の一人としても扱われることが多い。実存主義の本質は私が考えるに世界の不条理さにあると思っています。いつの時代も人間のコントロールできない災害は怒るのであって、それにどのように対応していくかはそれぞれの人間の生き様による。愛する人を優先したり、功利主義的な考えを貫いたり、はたまた信仰を強くもったり、なにが正解かはこの小説を読んでも載っていないし、そんなことは誰にも決められない。今回この小説をよんで、現状に楽観する必要も悲観する必要もなく、ただ自分が今できることをひたすらにしていこうと思いました。情報を共有したり、微力でも募金したり、出たくても家にいたり、そういったことが大切なんだと気づかされました。

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