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初めから正解をもとめない。間違えから正解までの過程を知ることが大切。

私の教室にはいろいろな人が相談に来ます。高校に行かない選択をした人、高校に行ったけど合わなかった人、もう一度勉強し直したいと思った人。

みんな口をそろえて言うのが、「あの時の選択は間違えだった」の一言です。

本当にそうでしょうか。

その選択をしたから、今のあなたがいて、今のあなたの経験をしています。うまくいかないこと、想定外のことはあったかもしれません。でも、その想定外も含めて、学びはあったのではないでしょうか。

その結果、勉強しようと思ったのであれば、ただの方向転換です。

学校では「正解すること」に重視した教育をします。できれば、最短で。できるようになることは大切です。でも、正解だけを求めると間違った方向に進んでしまうことがあります。

「間違えること」はダメなことですか?

最近、間違えることを極度に怖がる方が増えたように感じています。最短で正解することが「普通」というか、間違えることが恥ずかしいと思ってるというか、とりあえず、避けようとする傾向があります。

少し考えてもらいたいんですが、「間違えること」はダメなことでしょうか?

私はそうは思いません。理由は3つあります。

  1. 間違えることで得られる横の情報を手に入れられない

  2. 間違えに気づく、という学びを得られない

  3. 間違えた時にどうすれば正解にたどり着けるのかを学ぶ機会を得られない

ちょっとふわっとしているかもしれません。具体例を出します。

  1. 英語の和訳を間違えたことで、曖昧だった単語の意味・熟語の意味を覚えることができる

  2. 計算間違いをしてしまう子が、見直し方法を身に付けて、間違えに自分で気付けるようになる

  3. 間違えた時には解説の熟読、問題の解き直しをして次は間違えないようにする

いかがでしょうか。もし、1回目で100点を取り続けていたら、この学びは手に入りません。ずっと100点でいられればいいのですが、年を重ねるごとに問題は難しくなっていきます。100点でいられる方は減っていく。

小学校でずっと100点だった子が中学で急に成績が下がる話や、中学でずっと上位だった子が高校では偏差値が下がってしまった、なんて話を聞いたことはありませんか?

それは、間違えることで得られる学びをスルーしてしまったことが問題の一つではないかと思うんです。

間違えてもいい

何かを学ぶとき、間違えは付き物です。間違えていいんです。間違えないほうが心配です(笑)

残念なことに、これを言える場所がどんどん少なくなっています。さみしいことだなと思います。

間違えることを恐れるのではなくて、間違えた時にどうしたらいいのかを学ぶ良い機会だと考えられるようになると、気分はずっと楽になります。

「間違った答えは宝物」

間違えを恐れず、でも、間違えを最大限有効に活用していただけると嬉しいです。

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