見出し画像

【みじかい小説No.6】黒猫神のいざない

ミツキは帰宅するなり洗面所へ駆け込んだ。
まだ心臓がバクバクいっている。
唇に触れる。
まだ、感触が残っているーー。

ミツキは夕方、共働きの両親のために夕飯を作るべく買い出しに出かける。
ミツキ自身は働いてはいない。
職場の人間関係がこじれて辞めてしまったのは、もう三ヶ月も前のことだ。
それ以来、思い出したように就職活動らしきものをしながら実家に寄生して生きている。
我ながら、宙ぶらりんの人生だと思う。
夏の終わりにふさわしくヒグラシの鳴く中、ミツキはスーパーの袋を片手に自宅への帰路についていた。
いつも通るその住宅街の小道には、こじんまりした神社がくっついている。
今日、ミツキはなんとはなしにその神社へお参りしてみようという気になったのだった。
果たして、小道から伸びる狭い石畳の参道をゆくと、小さな気持ちばかりの社が見えてくる。
ミツキは決まり通り、垂れている乾いた大きな鈴を鳴らして来訪を告げ、ご縁がありますようにと五円玉を賽銭箱に投げ、ニ礼二拍手をして願いを頭の中で念じた。
就活がうまく行きますように。
そう念じた瞬間だった。
にゃあ、と目の前から声がした。
見ると真っ黒な黒猫が、賽銭箱の前に鎮座している。
猫は言う。
「契約、する?俺がお前の願いを叶えてやる。」
ミツキはおかしなこともあるものだと思った。
「する。」
こういう時は、魔法少女にしろ何にしろ、契約しないと話が進まないものだ。気づくとそう、口にしていた。
「では、失礼。」
そう言うと黒猫は、ひょいと飛び上がった。
そうしてミツキの唇に、自分の唇をつけた。
「はひっ」
ミツキは思わずのけぞった。
何を舐めているか分からないその辺の猫の口など不衛生極まりないとの理由からだった。
「これでお前は俺のものだからな。」
黒猫はそう言って満足そうに立ち去って行った。
しばし、呆然としていたミツキだったが、しばらくして我に帰ると、足元に置いたスーパーの袋をむんずと掴んで一目散に家に帰って来たのだった。

一ヶ月後、ミツキは希望の仕事に就いていた。
夕飯を作った後、ベランダに出ると向かいの屋根に黒猫が一匹。
これから何が起こるのかしら。
起こらないのかしら。
ミツキは気持ちよさそうに毛繕いをする彼を見つめながら、今日もそう問いかけるのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?