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終章:あがき

寺の外が、再びにわかににぎやかになった。
廟利と九星は、連れ立って垣根の隙間から外を覗きに講堂を出た。
二人そろって、指を輪にしてつぶさに外の様子をうかがう。
村の東の端で、小競り合いが起きているのが遠目にも分かった。
あの騒ぎが寺まで届くのにどれほどの時がかかろう。
廟利の頭に、義孝を殴ったあの鎧武者の顔がよぎる。
奴は何の前触れもなく、義孝を気が済むまで殴って出ていった。
こんな無体がまかり通ってなるものか。
あんなことが起こっても、誰もたしなめる者がいない限り、同じことがまた起こる。
誰か――。
誰かなんとかしてくれ――。
このとき、廟利の脳裏に去来したのは、寺の講堂に最奥に鎮座し常日頃から皆を見守っていた薬師如来であった。
この世には、神も仏もないのか――。
見る間に寺へ迫りくる武者の影を見やって、廟利は促されるままに九星の後について屋内へと駆け出した。

廟利が部屋へ戻ると、義孝が円仁に手伝ってもらいながら鎧をつけていた。
「義孝殿、何をしている」
廟利の声が講堂内に響く。
「いやなに、ここで俺が戦わねば平氏の名折れ。戦の支度をしておるのよ」
「何を馬鹿な。義孝殿はけがをしている。それに先ほどの男には叶わぬとよう分かったではないか」
「素手ではな。しかし俺には刀がある。それで互角だろう。防いでみせる」
「義孝殿!」
廟利の必死の訴えにも、義孝は聞く耳を持たない。
九星は、先ほどの義孝とのやりとりがこたえているのか、二人のやりとりを遠巻きに見ている。
義孝の身支度が済んだ、ちょうどその時であった。
「邪魔をするぞ」
玄関口から、大声が、した。
声の調子は、あの鎧武者であった。
「奴だ。奴がきた」
大広間が騒然となる。
「俺が出よう」
義孝はすっくと立ちあがった。
怪我をした左腕を、ぐるぐるとまわしてみせる。
そのうえで刀を抜くと、両の手でぐっと束を握った。
「よし、いける」
既に大広間には、あの男が手下を引き連れ入り込んでいた。
奥の間から出てきた義孝の鎧姿を見て言う。
「やぁやぁ、誰かと思えば、あの生意気な餓鬼ではないか。やはり平氏のこわっぱであったか。わざわざやられに出てきたというわけか」
「黙れ。やられるのはお前だ外道」
病人たちが体ごと避けたために、大広間の中央に、まるで二人の決闘のために拵えられたような空間ができた。
義孝と鎧武者の男の、一騎打ちが、始まった。
「我こそは、平義孝。他に長々と名乗るいわれはあるまい。いざ、まいる」
義孝が口上を述べた。
「じゃあ俺も、わざわざ名乗る必要はあるまい。これから死にゆく者にはな」
鎧武者の男が言い放つ。
二人は間合いを取りながら、じり、じりとにじり寄った。
すわ、義孝が刀を振り上げた。
一瞬のうちに振り下ろされるそれを、素手の男が避ける。
「あっぶね」
男は避けながら、右の口角をぐいとあげた。
「短い手足ではそれが限界か」
男は振り下ろされた刀の上に片足を乗せて体重をかけた。
刀はみしりと音を立てて板の間にめりこんだ。
「くっ」
義孝は力いっぱい両手で抜こうとするが、抜けない。
その間に男は間合いに入り、義孝の顔面に拳を一発喰らわせた。
「餓鬼が、調子に乗るなよ」
義孝は体ごと後ろに倒れそうになったため、その反動で刀が床から抜けた。
その刃を上に返して今度は下から振り上げる。
刀の刃は、男の左腕を捕らえた。
赤い鮮血が、その場に飛び散る。
男の顔がぐにゃりとゆがむ。
「この糞餓鬼がぁっ」
男はそのまま体を押して間合いに入り込むと、義孝の両腕を拳で思い切り叩いた。
義孝がうなって刀をその場に落とす。
男はすかさずそれを拾い、その切っ先を、義孝の首に当てた。
「勝負、あったな」
男は、非情にも眉一つ動かさぬままに、刀を義孝の首へと振り下ろした。
廟利は、九星は、他の病人や老人とともに一部始終を見ていたにもかかわらず、その時になっても一言も発することが出来なかった。
義孝の首は、ごとりと落ちた。
頭の離れた首からは、勢いよく血が噴き出し辺りを真っ赤に染めた。
男は手下からなぎなたをもらい受けると、義孝の首をその切っ先に括り付けて、来た時と変わらぬ様子で「邪魔したな」と言い残し、去って行った。
廟利の目からは涙がとめどなくあふれたが、それをぬぐうことすら忘れて廟利はその場に立ち尽くした。
廟利の内では、この世の善悪を問う声が、肉体を内から食い破らんばかりに渦巻いていた。
九星は無言で床に散った血潮をぬぐった。
心の内で「だから言ったじゃない」と言いたくなるのを必死にこらえて。
それは十代の頃、村を捨てた際に体験した友人の死と重なるものであった。

皆が大広間で起きた惨劇の衝撃を受け止められないでいた。
廟利は柱に寄りかかったまま泣きどおし、九星はひたすらに汚れた床を拭き、頭のなくなった義孝の肉体を世話した。
皆、疲れ切っていた。
しかし、「邪魔するぜ」と、再び玄関口から声がした。
あの男が再びやってきたのである。
男は口に布を巻き、手に大きな布を持っていた。
男は大広間の真ん中に突っ立って言った。
「平氏をかくまっていたお前たちに、おかみは病をくだされる。ありがたく思え」
そう言うと男は、手に持っていた布を、病人の上に広げ始めた。
湿り気を帯びたその大きな布は、手下の数だけあり、大広間いっぱいの病人や老人の上に敷き詰められた。
「これはな、病を宿した布よ。この布に触れた者は十日ももたないという。死ぬる時はひどく苦しむらしいぞ。せいぜいあがいて死ぬるがよい」
そう言い終わると、男は笑いながら手下を連れて出ていったのであった。
しばらく水を打ったように静かであった大広間であったが、「廟利……」と誰かが呼んだのを皮切りに、廟利を呼ぶ声があちこちであがった。
肝心の廟利は、柱にもたれかかったまま、動かない。
九星は廟利を振り返った。
「廟利」
九星は廟利の頬を思い切り叩いた。
「あ……」
気が付いたように、廟利が目をぱちくりさせる。
「廟利、皆が呼んでる」
廟利は九星にそう言われ、改めて皆を眺めやった。
皆、どこかなごやかな雰囲気を醸し出している。
なぜ――。
するとどこかから声が漏れた。
「廟利、もう、ええ」
「えっ」
廟利は声のした方を見やった。
「廟利、殺して、くれ」
「ああそうじゃ、もう、疲れた」
「皆十分に苦しんだ。もう苦しむのは嫌じゃ」
そんな声が四方から聞こえだして止まらない。
「みんな、ちょっと、待って」
廟利はその場で、どこかへ逃げ出したいような気がしていた。
その時、ふと九星の昔話が脳裏に去来した。
九星の知人は、村が襲われた時に自ら命を絶ったと言っていた。
そういう、ことなのか。
この世では、そういうことが、往々にして起こりうるということなのか。
だとするならば、なんという世の中か――。
誰も救わぬこれらの命なら、俺が救ってやる。
最後に、俺がみなを救ってやる――。
廟利の瞳に、炎が宿った。
廟利は、皆を一同に集めた。
それから、こう言った。
「これから一人ひとり首を絞めて殺してゆく。覚悟のできた者から手を挙げて俺を呼んでほしい。大丈夫。俺も最後に逝く」
すると一人、また一人と、あちこちで手が上がった。
廟利は呼ばれた方へ行くと、その者の後ろにまわり、「では、ゆくぞ、あの世でまた会おう」と言って両手で首をしめてゆくのであった。
しばらく苦しそうにもがく者は、しばしば廟利の両手を爪でかき、傷跡を残した。
しかし廟利は力を緩めず、一人、また一人と、こなしてゆくのであった。
そうして最後の一人を終えた後、廟利は縁側にあの男が立っているのを見つけた。
廟利は叫んだ。
「これが我らの答である」と――。
そう言い終わると、廟利は梁に一本だけ作ってあった縄に首を通し、そっと踏み台を蹴った。
その目に最後に映ったのは、表情を変えず皆の躯を見下ろす講堂最奥の薬師如来であった。
廟利の目には、最期まで抗いの炎が宿っていたが、その光が消えるとき、男の姿はもはや寺から消えていた。
代わりに九星が、すべてを見送った後、寺に火をつけその場を後にしたのであった。

派兵した平氏の若大将が、首を取られ、その直後に讃岐の村で多くの人死にが出たとか。
この一件を耳にした後白河天皇は、祟りを恐れ、これより後は崇徳上皇の命を狙うことをあきらめたという。

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