褒める育児はやり過ぎに注意!
ここ最近は、褒めて伸ばす育児というものをよく聞かないだろうか
おそらくこの記事を読んでくれている読者は、育児の中で褒めることを意識しておりドキッとしたのではないだろうか
もちろん褒めることを全て否定するわけではない
私も含め、過去の自分の経験から叱られることに対して抵抗感を持つ親は多い
その経験を生かしたまさに今の時代に合った教育だと思えるのも当然のことなのである
しかし、今回は褒めて伸ばす教育への疑問点について少し考えてみようと思う
叱ることと褒めることは同じ?
私たちが子どもに対して叱ってしまう時は必ず訪れる
理由は人それぞれだと思われるが
お店でうるさくする
言うことを聞かない
触って欲しくないもので悪さをする
こういった親が求めていない行動を制するために叱ることがほとんどだろう
※理由なく自分の感情をぶつけてしまうと言う人は前回の記事
「育児が人生の全てになりつつある大人へ」
を最初に読んでいただきたい
話はずれたが、親は子どもに正しい行動、モラルを持って欲しいと考えるのは至極当然のことである
私たち大人は幼少期、親や教師からそのように教えられ、それに反する行動をおこした場合は叱られたのだから
変な行動は叱ってでも止めなければ!
とついつい咄嗟にイライラが言動に現れてしまう
そしてそんな自分に嫌気が差した頃に、とにかく褒める教育へとシフトしていくこととなる
では、とにかく褒めることで子どもはどう感じ、なにを考えるだろうか
子どもの気持ちになって一度考えてみて欲しい
おそらく子どもたちは、褒められるために特定の行動をとろうと考えてしまう
なぜなら子どもの行動原理が「褒めてほしい」からになっているのだから
これは子どもが行動の意味を理解せずに、親や周りの反応を伺わなければ行動を起こせなくなるということをあらわす
例えば
人が見ている前ではゴミを拾うがひとりきりだと拾わない
先生の前でのみ友達に優しく接する
などである
私たちが子育てをする上で、なぜ人を助ける行動を賞賛しているのか
それは社会へ貢献することに抵抗のない人間にになって欲しいからである
その目的を見失った状態での褒めて伸ばす育児は大きな危険性を孕んでいることも頭に入れて欲しい
子どもに与えるべき報酬とは
ではそのために子どもに与えるべき報酬はなんだろうか
それは「褒めること」ではなく、「感謝すること」なのである
褒める行為とは、対象が劣っている場合のみ使われる表現で、感謝とはどんな関係性でも使われる表現である
人から感謝されることで幸福感を感じる
この感覚を子どもに伝えることがまず私たちの大きな使命だ
あなたは子どもを自分より劣った存在として扱っていないだろうか
そういった感情は子どもに伝わってしまっているということを改めて大人は認識するべきなのだろう
親子に上下関係など不必要なのである
●参考文献●
「子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気」
著者 岸見一郎
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