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勉強をしない理由を子どもに与えてはいけない

勉強の大切さの認識

勉強は大切だということはそんなことは全員分かっているだろう

もちろん子どもも

それでもうちの子は勉強しないと嘆く親も数多く存在するだろう

勉強をしてきた人はもちろん、私を含め学生時代にそこまで勉強熱心ではなかったひとに限って子どもへの教育に力が入るものだ

それは自分の人生に勉強が加わっていればもう少し晴れやかな人生だったのではないかという後悔からきている

いわばコンプレックスだ

しかし私たちはたられば話がどうしようもなく好きなので、学生時代の勉強の出来に関わらず同じ感情を抱いてしまうのである

そんな大人たちは

いい大学に進学するべきだ
大人になったら後悔するぞ
などいくつものそれらしい理由を並べてどうにか子どもを机に向かわせようとする

しかし、熱が入れば入るほど子どもは離れていくのである

子どもにとっての勉強

では、子どもにとって勉強とはなんだろうか

それは乗り越えるべき壁である

私たちは人生の中でいくつもの壁を乗り越えたり、道を変えて大回りしたりして生きていると思う

その中で勉強とは子どもにとって初めてのとてつもなく大きな壁なのである

この壁の厄介なところはてっぺんが見えないこと

そのため子どもはこの行動は将来おそらく役に立つはずだといった少しふんわりとした気持ちで挑まなければいけないのである

そこで私たち大人の出番である

私たちの役割はその壁のてっぺんを少しでも見えるやすくなるように手伝うことなのである

しかし、人間は押しつけられると拒否をする生き物である

これは全人類の共通項だ

そのため勉強しろ!には
邪魔をするな!迷惑だ!
と返すのは当然の行動なのである

そしていつしかこう考えるようになる

「親がうるさいからやる気がなくなった」

これは大変な目標から目を背ける理由を探していたのである

思考としては

①大きな壁を発見

②乗り越えなければ!

③思ったよりきついぞ、、、

④何かやらなくて済む理由はないか

⑤親がムカつく!

⑥やめた!

こんなとこだろう

要するにこの③の時点での対応が間違っているのである

私たちができるのはあくまでも手伝うこと

この手伝いという意味を履き違える人が非常に多い

ここでの意味は、自分の意見を押し付けることではなく差し伸べられたら手を握り返すということである

あくまでも子ども主導であることを忘れてはいけない

子どもが困り、私たちに助けを求めたときのみ手伝うことができるのである

それは教えることを求めているのか
ともに勉強する仲間を求めているのか

それは私たちが判断すべき大切なことである

これは当然のことで勉強は子どものためのもので親のためのものではない

いい大学を目指すのも、将来お金を稼ぐのも全て子どもが社会を生き抜くためのことなのである

子どもが勉強したくないならそれが子どもの人生なのである

大人は誰のために子どもを育てているのだろうか

いつのまにか自分の思い通りに子どもを動かそうとしていないだろうか

幸せの価値観は人それぞれである

子どもの一番のお手伝いさん

一度、皆さんにはそれくらいの気持ちで子どもに接してみてほしい

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