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【ネタバレ注意】『アクアマン』(Aquaman):オジ&デス対談第一弾 Vol.3

《コミュニケーション不全の時代に描かれる意思疎通の力》

デス・バレリーナによれば、『アクアマン』の大事なテーマのひとつが「コミュニケーション」だ。ド派手なアクション映画でありながら、主人公は力技で状況を打開するだけではなく、必ず相手と「話そう」とする。それがどんな意味を持つのか。そして、映画産業における女性の活躍とは…今回も話は長い。

「モモアさんの魅力」

オジサン ところで、ボクね、1番お気に入りのシーンはですね、モモアさんが鐘に頭突きするシーンですね。

デス 頭突き??!?!

オジサン ほら、シチリアで、女の子の上に教会の鐘が落っこちてきたところに、ドーンって…ヘディングするところですね、モモアさんサイコー!

デス ああ!あれは体当たりじゃないの、あれ?

オジサン でも、頭突きっぽいじゃないですか、どーん!って、どーん!って。ヘディングしてるっぽいかんじになるじゃないですか。あれ、よかったです。

デス まあね、あれはよかったね。アクションとしてもカッコいいし、人命救助だし…

オジサン いや、カッコよくはないでしょう。

デス いや、カッコいいでしょ。

オジサン だって、こうですよ?こう!(頭突きの真似)

デス そりゃあさ、あの体勢からさ、あの体勢から…

オジサン いやぁ、どーん!ですよ。あれ、面白いでしょ、むしろ。カッコよくはないですよ。

デス でも、でも、あの体勢で、アクアマンの身体能力だったらできることあれしかないでしょ。スーパーマンだったら飛べるけど。

オジサン 多分、スーパーマンだったら、手を前にしてこうですよね、「どーん」って。

デス そりゃスーパーマンは飛べるからぁ…

オジサン でも、アクアマンもほぼ飛べるに近いじゃないですか。だって、あんだけ飛び降りたって大丈夫なくらいですよ?ジャーンプ!

デス それ、ジャンプ力じゃん!飛行能力はないわけだよね。

オジサン なくても、ジャーンプっていくわけじゃないですか?

デス でも倒れてたじゃん。

オジサン 頭からどーん!ってやって「痛ぇ〜」みたいな、あれいいですよ。

デス アクアマンはその辺は、戦うことに関しては、スマートさよりも力推しみたいなとこあるから。

オジサン だからこそー!最後のトライデントをくるくるするシーンで、急に動きが洗練されちゃって王の風格が備わった感があるじゃないですか、あれ、いいですね、あの落差。

デス あとはアレは、やっぱり、どんなに時間が経ってもバルコからの教えを忘れていないっていう…

オジサン でも、バルコもちょっと感動してたじゃないですか。

デス そうそうそうそう。

オジサン だから、あれ、教えたときはあそこまでできてないんですよ。やっぱ、あの戦いを経て、トライデントを手に入れて、より海とお友達になったからできたみたいな。

デス 実際、バルコ自身もあそこまで曲芸的に回しているシーンはないわけだよね。自分の教えを覚えていてくれただけでなくて、成長して自分を超えるレベルでそれを実践してくれたということへの感動というか。

オジサン あれはカッコいいですよ。

「繰り返し描かれるコミュニケーションの重要性」

デス アクアマンは、潜水艦の中でも大暴れしたりとか、モモアさんの厳つい風貌による、時に武骨な戦いも見どころではあるんだけど、1番大事なところはコミュニケーションだよね。

オジサン ああ、それですね。

デス 特に語学を勉強しているという描写もないけれど、ちゃんと潜水艦では乗組員のロシア人とはロシア語で喋ってるし、シチリアではイタリア語で話している。で、人間相手だけではなくて、海の生物とも意志の疎通ができる。あれは単なる超能力ではなくて、コミュニケーション能力のメタファーでもあると思う。だから、ラストシーンで、戦いに勝利した後、敵であるオームを殺しもせずに、「いつか話そう」って声をかけるんだよ。
 あとは、トライデントを手に入れる際に、それを守っているカラケンって化け物と対峙するわけだけど、普通だったら、あの巨大なカラケンをなんとかしてぶっ倒してトライデントを手に入れるっていう風になりそうなのに、アクアマンがカラケンとの対決を征した方法が、なんと「意思を疎通させる」。で、カラケンの方も「ここに来た者で私の心の中を読めたのはお前がはじめてだ」と感動する。

オジサン にしても、カラケンもカラケンですよね。初代アトランティス王以来初めて人間と意志の疎通ができたとか言うくせに、「お前なんかにトライデントが抜けるはずがない」「今夜はごちそうにありつけそうだ」とかツンデレ発揮して。怪物とヒーローのツンデレって…。

デス あれは、まぁ、アクアマンが無事に滝の向こうから戻ってくるまでに何があるのかっていう観客へのスリルの提供のためっていうか、あとはまあ、ツンデレっていうか…カラケンなりのある種の愛嬌っていうか…。

オジサン いやぁ、ツンデレでしょう、あれ。

デス まあね、お前、食う気ないでしょ?みたいなね(笑) 

「2つの世界の掛け橋となるヒーロー」

デス で、まあ、言うなれば、あれは異文化コミュニケーションだよね。アクアマンという人間とカラケンのような怪物の。そして、人間といっても、地上人と海底人では住んでる場所も違うし、あれも異文化コミュニケーションだよね。アクアマンは地上人と海底人のダブルだし。そういう複数のルーツを持つひとの役を、いわゆる「白人」ではないひとが演じて、その人物が地上とアトランティスという異なる文化の掛け橋となる。あれは明らかにトランプ的なものとか、フランスの国民戦線みたいな、ああいう極右政党・ネオナチ的なもの、まぁ、日本にも安倍晋三という馬鹿がいるけど、ああいう偏狭なナショナリズムとか民族主義とかに対する、カウンターメッセージになっている。

オジサン そうですね。だからこそ、敵役のオームはやたらと、「自分は純血のアトランティス人だ」ということに拘るキャラになっていて、だから、異なる出自をもつ両親の間に生まれたアクアマンこそが、2つの世界を繋げられる存在として描かれている。しかも、「2つの世界があるわけではなく、地上と海はひとつなんだ」ってアトランナは言うわけですよね。

デス ああ、あれはすごく重要な台詞だよね。オームは父親から「海底と地上という2つの世界がある」と、民族主義的ナショナリズム的な教えを受けてきた人間で、だからああいう性格になっちゃったってのもあるし…

オジサン だから、ボクは散々、オームはかわいそうなひとだと言ってるわけで…

デス そう。ただ、そのある種の優生思想みたいなものは、必ずしも人種的な価値観に根ざしているだけではなくて、地上の人間たちが環境汚染(海洋汚染)をもたらすとか、勝手に軍艦でドンパチやって軍艦やら軍事兵器を海底に沈めて放ったらかしにしているとか、地上人の罪にたいする警告という面もあるんだけど。

オジサン 核兵器とか核廃棄物もだいぶ海に沈めてますからね、地上人は。

デス うん、そう。だから、オームの地上人の罪に対する怒りは割りと正当なもので、単なる悪役の方便ではないし、逆に言うとそういうところがあるからオームは敵役ではあるけれど感情移入できるキャラになっている。で、結局、オーム自身は多くを語らないけど、死んだと思っていたお母さんが生きていて、「世界はひとつだ」というお母さんの言葉に諭されて、一応は納得しているし、アクアマンに思想的な部分で負けたということを悟ったという雰囲気がある。

オジサン そもそもアクアマンがトライデントを手に入れてきた時点で、自分は敵わないのはわかっていて、でも、『勝てるはず』と自分に言い聞かせてたようなところもあるじゃないですか。そういうところも含めて、ボクはオームってかわいそうだなって思うんですけど。

デス うん、で、そのオームが死なないのが大事なところ。観客が感情移入するレベルで存在感のある、いわゆる主要キャラが死なない。ああいうアクション映画って、例えば前半の津波のシーンでお父さんが死ぬとか、お母さんが最後の戦いの場面で巻き添えになるとか、あるいはお母さんは既に死んでいてゴースト的なものだけが生きていたとか…そういう設定、もしくはオームが最後に死んじゃうとか、誰かしらが死ぬことによって物語を盛り上げるという風になりがちなんだよ。『アクアマン』は、そうはならないで、オームにはこれから後贖罪の機会もあるし、そういうところも幸福ですね。 で、まあ、アトランナがアクアマンとオームの母親で、物語の鍵を握る重要なひと。ただ、アトランナはむやみやたらにステレオタイプ的な「母親」として描かれているわけではないよね。もともとアトランナは正義感の強い立派なひとで、仮に相手が自分の息子でなかったとしても、きちんとした態度を示せるというキャラだと思うんだよ。
 女性やマイノリティが活躍するっていうのはすごく大事で、それはキャスティングにも見られる。アンバー・ハードはバイセクシャルを公言している上に、元夫のジョニー・デップのDV被害者。そのせいでむしろアンバー・ハードの方が一時期はハリウッドで干されていて、アクアマンも降板させられるんじゃないかって不安もあったと本人が言っていたけれど、結果、すごくカッコいいメラになった。

 ポチ カッコよかった〜!

デス #Metoo 以前だったら完全に潰されて、女優としては大舞台に立てなかったかもしれないひとが、『アクアマン』のような映画で主役級の活躍ができているということは、映画内での女性の活躍だけではなくて、映画を取り巻く環境的に重要。#Metoo はトランプ的なものへのアンチテーゼでもあるしね。意図的な部分もあれば、偶然もあるだろうけれど、色んな意味で「持っている映画」っていう感じがする。

「女性キャラにステレオタイプな役割を見出しているのは誰なのか」

オジサン で、さっきの、アトランナというキャラについてですけど、もうちょっと詳しく言いたかったんじゃないですか。

デス うん。アトランナはいわゆる母親らしいキャラか?といえばそんなことはない。アトランナを連れ戻しにきたアトランティスの兵士たちを返り討ちにして、夫と息子を守るという無双状態の戦闘シーンとか、いわゆるステレオタイプ的な「お母さん」じゃないよね。アトランティスにおける政略結婚から逃れる形で地上にやってきた、という設定は「お姫さま」像としては過去にも似た設定はそれなりにあるけれど、かなりサバイバル感のある逃亡劇になっている。連れ戻しに来た兵士を返り討ちにするものの、このままアクアマンたちと一緒に住んでいると2人に危険が及ぶだろうからと、海に戻るという選択をするわけですよ。
 海外のことはともかく、特に日本では同じような行動をとっても父親と母親だと母親の方がより厳しく糾弾されるし、母親らしくあるべきという抑圧が強い。父親が浮気だの借金だので蒸発しても「まぁ、ろくでもないけどそういう男もいるよね」で済むのに、母親が似たようなことをしたり、場合によってはやむを得ない事情があったとしても、家族や子供からある種の逃避行為をすると、母親らしくないと叩かれる。
 アトランナは、夫と子供のためとはいえ、2人を置いて一度海に戻るという選択をするけれど、それを夫が理解して見送るし、その行為も含め、彼女が劇中で悪者以外から糾弾されることはない。彼女の行為を咎めるのは、彼女の許婚で当時のアトランティス王オーバック(オームのお父さん)で、むしろそっちがクソなやつとして描かれてる。家父長制的なものが否定されて、それに反旗を翻すような行動が肯定されていると言える。アクアマンだけでなく、アトランナもステレオタイプ的な女性キャラとはひと味もふた味も違う、紛れもないヒーローなんだよ。

オジサン …。話がいちいち長いんですよ、デスのひとは…

デス 丁寧に話してるんだよ!

オジサン 話がとっちらかってますよ…

デス そう?ずっとアトランナの話してるじゃん。映画を観て映画から何を得るか?っていう観点からも、単に映画を娯楽として消費するだけではなく、現実世界に生きる我々をヒーロー映画がどのようにエンパワメントしてくれるのか、我々にどのようにアドバイスをくれるのか、っていうのが大事なわけですよ。

オジサン それは分かってますよ

デス そのためには、こうやって現実社会との比較とか、ね?そういうものが必要になるわけですよ、だから、その分喋らないといけないし、話も長くなる。でも、別にとっちらかってはいない。

オジサン 力説されてしまいました(笑)
 えーっと、要はアトランナにむやみに「母性」みたいなものを見出すのもある種のジェンダーバイアスであって、彼女もアクアマンと同様に、地底と地上のみんなのために戦うヒーローとして描かれているよ、ってことですよね。

デス そう!

=Vol.4に続く=

オマケ:珈音による「女性ヒーローと母性」に関する覚書


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