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自己紹介①~スポーツビジネスに足を踏み入れた私が今のキャリアを築くまで〜

こんにちは。「あること」がきっかけで自分を振り返りたいと強く思い、noteに自分自身の生い立ちや考えを記録することに決めました。「あること」についてはおいおいお伝えしたいと思います。

今何をやっているの?

私は今、とあるベンチャー企業で小売り、特にスーパーマーケット、GMS、ドラッグストアに使っていただくための新しいメディアやアプリの企画を担当しています。ご存じの方はいらっしゃると思いますが、日本の小売りは世界に比べて様々な面で旧態依然とした部分が残っています。私の会社はその旧態依然とした部分の内、「デジタル化」にフォーカスを当てて小売り、メーカー、そしてその小売りに来店されるお客様の課題を解決すべくプロダクトの企画やマーケティングに勤しんでいます。

この記事で伝えたいこと

私は現在の自分の置かれている仕事や立場について成るように成ったと思っていますが、今から12~3年前に新卒で入社した時には35歳の自分が今の場所で仕事をしているなんて夢にも思いませんでした。当時22歳の自分がどのような外部要因や自分自身の思いを経て何社も転職し、今の姿に至ったのか、それを時系列で振り返りながら「このようなキャリアもある」ということを伝えていきたいと思います。

20歳、好きなことを仕事にするきっかけを掴む

就職活動がそろそろ始まる大学3年の時、私はどんな仕事に就こうか全く方向性が定まっていませんでした。父が医者で周りも医者の息子娘が多い環境にいたせいか、世の中のサラリーマンがどんなことをしているのか全く理解おらず、「メーカーに勤めて商品を売る」、これが私が当時思っていたサラリーマン像でした。

そんな私が子供のころから強い興味をもっていたコトがあります。それは「スポーツ」です。それもやる方ではなくショービジネスとしての。高校3年生の頃、医者を継いで欲しい父に勝手に医大に入れられそうになった時、「俺は弁護士になって将来NBA選手のエージェントになりたいんだ!」と言って法学部に入学するまでは頑張りましたが、弁護士としての仕事というよりも華やかなスポーツビジネスに携わりたいという気持ちの方が圧倒的に勝っていた私は、その夢をほとんど追いかけることはなかったのですが。

エージェントの夢を追いかけず一般的なダメ大学生と同じような大学生活を送っていた私ですが、就職活動という人生の節目から逃げることはできず、自分探しを始めます。「オフィスで働くサラリーマンっぽい仕事を体験しよう」と思った私は当時隆盛を誇っていたmixiでインターンやアルバイトを探すのですが、その時にとあるスポーツマーケティングの会社に出会います。募集していたのは海外のスポーツ記事の翻訳やライターの仕事。書くことは割と好きだったのでものは試しとばかりに応募し、アルバイトとして働き始めました。

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22歳、スポーツビジネスの世界へ

ただ単純にスポーツビジネスに携わるきっかけを掴みたいという思いだけで始めたアルバイトでしたが、まさに私が大好きなNBA、WWE、NFL、セリエAなど世界的に有名な海外スポーツ団体の日本でのデジタルコンテンツ配信権などのライセンスを受け、当時10名にも満たない少数精鋭な部隊で海外スポーツでの日本でのマーケティングを行う会社であることが分かりました。

また、スポーツ業界を知れば知るほど日本ではその業界に入るのは狭き門であることを知ります。いわゆるショービジネスとしてのスポーツ市場は日本とアメリカはけた違いであるにも関わらず、スポーツ業界を志望する人がとても多いのです。運よくこの業界の入り口に立つことができた私はアルバイトから社員になることを決め、大好きなスポーツ業界で名を馳せることを夢見たのでした。

社員として入社後、私はいくつかのスポーツサイトの運用や新規サイトの立ち上げを任せていただきました。当時はスマホはなく、キャリア公式サイト全盛の時代。おもしろい企画を考え、毎日更新をし、月額315円を払っていただくお客様を集客し、解約されないように繋ぎとめるという一連のサイクルを回す日々。KPIはその月の課金ユーザー数、新規ユーザー数、退会者数で、今のスマホアプリ事業者がやっているようなグロースハックとは程遠いシンプルな運営をしていました。

サイトの規模によりけりでしたが当時は1サイトを基本的に1名+アルバイト1名で回していたので毎日終電で帰宅、土日も更新業務をやっているようなプライベートもない日々でしたが、自分が大好きなことに携われていたこと、そして何よりもメンバーに恵まれていたため毎日がとても楽しい日々でした。ちなみに当時大好きだった彼女と中距離恋愛(東京と茨城)をしていましたが、なかなか休みも合わず、彼女を養えるくらい仕事で大成してから迎えに行くと心に決めて別れたのも社会人1年目です。10年後、この彼女と結婚することになるのですが、その話はまた今後。

最初に勤めた会社で知ったこと、得たこと

プライベートの好きを仕事にできるということで新卒入社した会社ですが、働いていく中でその後の自分のキャリア観に影響を及ぼす気付きがあったのでここでまとめたいと思います。

①:成果主義

新卒で入社した会社は10人にも満たず、人事制度のようなものもない会社で、個人の成果によって給与が変わりました。新卒採用をやったことがないこの会社から入社時に私がオファーされた給与は年俸240万円。月給20万円。もちろん家賃補助などの手当は無し。そして入社して半年後にもらった給与明細を見ると突然月給が25万円にアップしていました。

この出来事は当時自分のモチベーションに強く繋がり、以降の転職でも「成果主義かどうか」は重要な判断基準になっています。

②:フラットな職場環境

新卒入社した会社は社長がアメリカ人でメンバーも私以外は全員国外で生活をした経験がありました。また、前述の通り新人でもサイト運営を任される環境でした。故に年齢はメンバーと最低でも6歳離れていましたが、新人と先輩の垣根なくフラットな職場環境でした。

成果主義であることがそうさせたんだと思いますが、年齢に関係なく対等な関係で仕事ができる心地よさというのもこの会社で学んだことです。

③ You have to PAY ME dayo!

これは社長の口癖です。「You have to pay me」=「あなたは私に支払わなければならない」という意味になりますが、一体どういうことでしょう。

私たちは会社から労働の対価として給与をいただいているわけですが、新人の頃は大した結果も残せずただ給与をもらうだけの存在です。そして手塩にかけた人材ももしかすると将来、どこか別の会社に旅立ってしまう可能性があります。それでも会社は人材に対して仕事を与え、教え、様々な経験をさせてくれます。ましてや小さな会社では社長をはじめとする経営との距離が近く、一般企業に勤めた新人では身に付けられない視点を会得できます。そうすると社長からすれば「おまえらにこんなに得難い経験をさせてるんだからその経験に対して本当はおまえらがお金を払わないといけないんだぞ」と、なるわけです。

次の記事で書きますが、この会社は入社して1年でとある会社に買収され、私は3年で退職します。ですので社長からいただいた給与と経験を直接お返しすることができませんでしたが、経営と近いところで仕事をする楽しさを覚えたことは後のキャリアに影響を及ぼしました。

以上が私のアルバイト時代から新卒入社1年目の振り返りでした。激動の社会人2年目篇はまた次回。

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