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コネなしからハリウッド映画のスタッフへ

この記事は、ハリウッド映画が大好きな映画監督志望の19歳が日本で撮影されたハリウッド映画のスタッフになるまでの1年間をギュギュッとまとめて書いています。

スタッフといっても弁当配りやカイロを配ったり、大したことはしていませんがね〜笑

夢のアメリカへ

高校卒業前、3年間好き勝手に面白いと思う映像を作ってきた僕には進学や就職という選択肢は無く、ただ漠然と真剣に『アメリカの映像の学校に行きたい!語学学校に行きたい!』と思っていました。

ですが、『1度本物のアメリカを見てこい』という父の助言に従い、卒業後の5月にアメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスへ1週間旅行し、実際のアメリカを感じました。

貧富の差が凄すぎて、帰国後日本最高!と何回言ったことでしょうか。

もちろんテイラースウィフトが出演するフェスや、ポテトのTシャツを着てたらすれ違うアメリカ人たちに凄くいじられたり、楽しい記憶も沢山あります。

※旅行の詳しい感想は別の記事で書いているのでこの記事の一番最後に貼っておきますー!

帰国後、今アメリカに行くのは違うと判断し、日本でしばらく映像の勉強をしようと考えました。

学校に行く?行かない?

でも僕は凄く焦っていました。同級生の大半は進学就職して前に進んでいる中俺は何をしているんだと。

初めから日本の映像学校に行く気は無かったので、残りの選択肢としては
1.独学で映像を作っていく。
2.映画の制作現場で映画作りを学ぶ

1つ目の選択肢は無しになりました。
理由は高校卒業後に友人の『ダラダラ悩んでんともう一回何か映像を作ってみたら?』という助言で作った作品が地元の映像コンクールで入選はしたものの、決して満足のいく結果にならなかったかったのと、独学には限界があると感じたからです。

正直、悪いという訳では無いのですが、学生気分の延長線で作ってしまったのが原因だと思います。プロになるにはそんな心構えじゃ決して飯は食えない。協力してくれた友達にも申し訳無く、当たり前ですがそこで気づいたのは最高の恩返しは最高の作品を作ることだということです。

そんなこんなで現場で働くという選択肢を選ぶことになるのですが、アメリカに行く事しか考えてなかった僕にはもちろんコネは無い。

映画祭で審査員をしていた監督や映画館に舞台挨拶に来た監督とカメラマンに次の作品でスタッフをさせてもらえないですか?と話しかけに行ったりしたものの、全て断られました。

とても不安で正直どうするればいいか分かりませんでした。僕は一体どうなるんだ、、。

そんな僕の脳裏に昔映画の現場で働いていた知り合いのおじさんが浮かび、これだ!これが最後の希望だ!もう俺の手札はこの1枚、このカードかけました。頼む!!

結果『映像の学校へ行きなさい、チャンスの数が違うから。君のしていることは蛮勇だ、もっと違うところで情熱を注ぎなさい。』と結構強めのカウンターパンチをいただき、

僕は素直にそのアドバイスを受け入れました。一番親身になってくれている人の意見だし、ごもっともなアドバイスだったので。

そうだ、、学校に行こう、、。

父に学校に行きたいという趣旨を伝えると『それは堂々巡りや、お前が学校に行かなかった理由を思い出せ』とまたカウンターパンチ、僕はもうノックダウン寸前。

でも、僕は冷静なり考えました。アメリカ旅行から帰ってきた時に進学しないと決めた理由を思い出しました。

高校1年生の時初めて映像学部のある大学にオープンキャンパスで行った時、卒業制作の作品があまり面白く無かったのを思い出しました。4年間の集大成がこれ!?と。

だからその時日本の映像の学校へ行くのは無しだなと大胆にも1回だけのオープンキャンパスで決めつけました。

(もちろん、その当時はまだ作品を1本も撮ってなかったので映像の制作の大変さも何も知らないただの頭でっかちだったので今見れば面白いかもしれません、でもその時は僕の心がそう思ってしまったのです。)

でも、確かにそう高1の時に思ったものの、1校しか見てないのに判断するのは間違っているのではないかと思い、改めて別の学校のオープンキャンパスに行ってみました。

ただ用意されているルートで見たとしても仕方がないので一番作品数を撮っている生徒と話そうと決めてオープンキャンパスへ行きました。

バイト先の先輩がたまたまその学校のオープンキャンパスで怪獣のスーツアクターをしていたので橋渡しをしてもらい

そこで、一番本数を作っている生徒とOBの方が親切に僕の話を聞いてくださり、色々なアドバイスを頂きました。

そして、僕は必ずしも学校に行く必要はない

と判断し、学校に行かないという決断をしました。正直怖かったので、無理やり自分を納得させました。

もちろん学校に行った方が気持ち的には楽だし、環境も整っていて自分の創作に集中できるはず!でもコスパが悪い、結局のところそれが一番の学校へ行かない理由になりました。

業界への入り口探し

結局残った選択肢は1つ、映画の制作現場で働く。

まずインターネットでスタッフ募集を探しました。じゃあ運良く、関西の映画撮影所でスタッフを募集していた!やった!と浮かれていたのも束の間、応募期限が3日過ぎていたのです。

普通にメール送っても無視される。電話をかけても取り合ってくれないだろうと考え

僕は直接履歴書を出しに行くことにしました。

もちろん撮影所に入れる保証も無いし、入口がどこかも知らない。一応Google マップで入口っぽいところだけ把握して向かいました。

結果。入れたけど、断られた(笑)

履歴書を持って建物の中に入り、受付の人に製作部の部屋まで案内してもらい。ドアをノックして入り、元気よく『あの〜すみません、スタッフの募集見てきたんですけども〜』

学校の職員室のような部屋で校長先生の席みたいなところに座っている人が見たこともないぐらいはぁ?って顔で『いや、募集終わってるから帰って』と仰って、でも僕はここで食い下がる訳にいかないと思いました。

なんせ電車賃だけでも往復2000円以上かかっているのだから!タダでは帰らないぞ!という気持ちを表面に出さないように謙虚に腰を低く『そこを、、なんとか、、』と言うと別の人が僕の元へ来られ

丁寧に帰れと説得されました。ここまで言われたら仕方がない、また明日も来ようかなと思いながら帰ろうとすると。僕の履歴書をみて『君、えらい遠いところから来てんな、話だけでも聞いたろ』と時間を作ってくださり、映画業界のことについて沢山教えていただけました。

撮影所の人『映像の学校行かんの?』

俺『コスパ悪いと思いまして』

撮影所の人『あ〜そやんな、高いしな、極端な話現役で働けなくなった人たちの就職窓口のためにあるようなもんやで映像の学校は別にお金があるんやったら全然行くのはありやけどな〜』

映画業界の事をよく知っておられる方が映像の学校を勧めていない!これは間違いない。俺の選択は間違っていなかった。そう思いました。

無理やり持っていた自信が本当の自信に変わりました。

とはいうものの、スタッフになれた訳ではないです。次の1手が必要。また同じ撮影所に雇ってもらえるまで通い続ける?と考えました。

ハリウッド映画の撮影現場へ

ですが奇跡的なタイミングでハリウッド映画の撮影が関西であり、そのエキストラを募集していたのです!
これだ、エキストラとして現場に行けばスタッフ、監督たちと会うことが出来る。

そこでスタッフに気に入ってもらい、そのまま業界入りだ!と考えました。

まずこの作戦を実行するには、エキストラのメール選考を通る必要があります。僕は履歴書に『柔道経験、剣道経験あり』と他にも盛りに盛った履歴書を送りました。一応中学と高校の授業でやったことがあるので嘘ではないです。

結果は、合格!!

よしこのままスタッフだ。

5日間のエキストラで1日目は様子見、2日目にスタッフに話しかけ自分を売り込みました。
たまたま話しかけたスタッフがとても良い方で僕は次の場所の撮影でエキストラキャスティング助手としてボランティアで参加させてもらえることに!!

念願のスタッフ!!

念願といってもほんの数ヶ月ですけど(笑)

そこから約1ヶ月間、僕は正式なスタッフとして同じハリウッド映画の関西と関東の撮影にも参加。ラッキーがラッキーを呼びラッキーになりました。

スタッフとしてハリウッド映画に関わった経験が出来たことはとても幸運でした。
初映画の撮影現場、初ハリウッド映画、初スタッフ、初めてだらけの1ヶ月の濃度と言ったらもうそれは濃ゆい濃ゆい、味噌汁最後の一口に匹敵するぐらい濃ゆい。僕を撮影クルーに入れてくれたスタッフさんには本当に感謝です。

この1ヶ月間で、様々な人たちと知り合い。次に繋がる関係も築かさせて頂きました。

自分が監督になるために必要なことが見えてきました。

今後はスタッフとして数々の現場で経験を積み同じ熱量を持った仲間とたくさん出会って、同時に自分の作品を作って行こうと思っています。

まとめ

高校を卒業したての時は『僕はアメリカにいくんだ』と自分を正当化し、現実から目を背けていました。この記事では省きましたがアメリカ旅行から帰ってきた際も焦っていち早く語学学校に行こうともっともらしい理由を作って他人の目線を気にしていました。

スタッフになるという目標を掲げた際は、本当に出口が見当たらなかったので暗いトンネルの中を歩いている気分でした。

ですが、そんな暗い気持ちでも。再び一歩踏み出す勇気を持って歩み出せば、何とかなりました。ハリウッド映画の現場を経験することができ、次に繋がる関係も築けました。

見てもらった通り無謀なことを沢山してきましたが、それは決して無駄にはなっていないと信じています。

END

ここまで読んでいただいて有難う御座います。

僕はとてもラッキーでした、ラッキーを掴みにいきました。

でも読んでいただいたように僕は決して難しいこともしてなければ、血が滲むような努力もしてません。

ただ、あそこに行きたいと顔を上げて1歩を踏み出し続けたらそこに着いたって感じです。

でも僕の今の状況はスターウォーズ新たなる希望でいうルークがR2D2を購入するところです。これからオビワンと出会い、帝国軍との戦いに備えフォースを学んでいくことになるでしょう。

こっからがスタートラインです。

https://4travel.jp/travelogue/11502036

↑詳しいロサンゼルス旅行記

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