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弊害

一昨日の七月三十一日。私にとって由々しき事態が起こった。それは職場の近所の蕎麦屋の閉店である。
「何だ、そんなことか」と思った者は冷たいものを食べ過ぎて腹を壊すが良い。これは飲食店不毛地帯の私の職場にとっては大きな痛手であり、損失である。

その蕎麦屋は私の職場から徒歩一分ほどという抜群の利便性で最も近く、ランチタイムになると弁当を販売してくれるという、駅からも繁華街からも商店街からも遠く、飲食店が少ないその地域にとって、なくてはならないありがたい存在だった。私はいつもそこで弁当を買い求め、職場で食べることを習慣としていた。
厳密に言えば、その蕎麦屋と反対方面に行けば昨年開店した美味いラーメン店があるのだが、すぐに人気店となってしまい並ぶ必要がある。そして、一杯千円近いラーメンを食べるのは懐具合が絶えず寂しい私にとっては、頻繁に通える店ではなかった。また、やはり職場から徒歩五分ほど歩くとコンビニがあるのだが、毎日がコンビニ弁当や総菜パンというのも味気なく、往復十分の移動時間も面倒であり、貴重な昼休みの時間を移動に割きたくはなかった。
また、私は職場の自席でゆっくり食べるのが性に合っている。
上記の理由から、お手頃価格で、尚且つ美味い弁当を提供してくれる蕎麦屋の閉店が私にとっては痛恨の事態であることは分かってもらえたと思う。

今後、私の昼食はどうするべきか。一つの案として通勤途中にコンビニによって昼食を買うのが最も現実的かと思うが、毎朝通うのが手間だ。そして職場には電子レンジがないので温める必要がある弁当は候補から外れる。またカップ麺の類も栄養価に問題があり、食べ終わったあとにスープを職場の流しに捨てるのも、そこをまた自分らで掃除するので手間だ。それらの手間や金銭面、また栄養価など総合的に判断して、私は家の近所のスーパー、ライフで前日の夜にパンを買い求め、それを翌日の職場に持参することにした。
しかも近所のライフは遅い時間に行くと十パーセント以上の値引きをしているので、懐にも優しい。そして七月三十一日の夜、私はライフで幾つかのパンを買い求め、それを家の冷蔵庫にしまった。

ここまで読んで、感の良い読者は予想しただろう。そう、翌日の八月一日の朝、私は昨夜買ったパンを冷蔵庫に入れ忘れて出勤した。
私としたことがあるまじきミスだ。今日から蕎麦屋が使えないという初日から、幸先の悪い失態だ。しかし、不幸中の幸いで、私は買ったパンを忘れたことに通勤途中に気付き、通勤路の近くにあるコンビニに寄った。
そしてそのコンビニで昼食のパンを幾つか買い、店を出て職場に向かうと、私は違和感を覚えた。その違和感の正体は周囲の景色だ。そう、私は道を間違えた。

どうしてこんな間違いをしたのか、ここで詳しく説明する。職場の最寄り駅を出て約十分ほど歩くと、T字路にぶつかる。そのT字路の右方向が職場への道のりであり、左方向へ二十メートルほど歩くとコンビニがある。その日、私はT字路を左へ折れ、コンビニへ向かったのだが、コンビニに入るには更に右へ二回折れる。その時に私の方向感覚が狂った。
私はコンビニを出て左周りに行かなければならなかったのだが、店を出た私は何も考えずに、そのまま直進してしまった。つまり、どんどんと職場とは反対方向へ向かってしまう。私の真っ直ぐな性格が仇となった。

私の「職場へ行きたくない、働きたくない」という深層心理が無意識に働いたのかは不明だが、ともあれ私はぼんやりと道を進んだが、すぐに違和感に気付いた。
あれ? 何か普段と違うな? 何でだ? どこで間違えた? 

私はスマホを取り出しグーグルマップで自分の位置を確認しようかと思ったが、さっきまで居たコンビニからそう遠くないであろう場所で、地図に頼るのも癪であり、よく分からない敗北感のようなものがある。私はまだ半分寝ている頭をフルに回転させながら道を戻り、どうにかこうにか見覚えのある道に出ることが出来、無事に職場へと辿り着いたのだが、普段より六、七分遅くなった。
やはり、あの蕎麦屋がないと私の生活に、小さいながらも弊害が出る。やはりこれは由々しき問題である。どうにかしなければならない。
いっそ、私があの蕎麦屋の跡地で飲食店を立ち上げる、か……?

名案ではなかろうか。出来れば簡単に手っ取り早く出来る店が良い。そうだ、私は米が好きなのでおにぎり屋が良いだろう。そして吉岡里帆に似た美女をアルバイトで雇えば看板娘となり、商売繁盛は間違いないだろう。そうしたら、こんな文章を書いている場合ではない。早速、明日から大忙しだ。

きっと来年の今頃、私は『カンブリア宮殿』か『ワールドビジネスサテライト』に出演しているので、ぜひともご覧になっていただき、HDDに半永久的に録画保存してほしい。



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