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今、私は何故しんどいのか

【写真:ベルギー・ブリュッセル】airbnbにネコチャンがいた。とてもとても可愛らしかった。


こんばんは。ここ数日、そして特に今日、悶々としているので、その理由を書きだしたい。なぜ今私は落ち込んでいるのか。

1. やる気が出ないことによる自己嫌悪

直近で私がやるべきことは2つあるが、やる気が起きなくて手が進まない。

一つ目は卒論口頭発表スライド作成と練習だ。12日に発表練習があるので、それまでに完成させる必要がある。先生からは、ストーリーラインや理論をしっかりと組み立ててください、とのことだった。しかし私は、昨年6月にボコボコにされたときと同じ内容のことで今も悩んでいる。ここを詰められたら、何も言えなくなるという点が1点あるのだ。そしてそこは重要な点なので、非常に悩ましい。それが心配だし、しかも現時点では制限時間を超過してしまうし、当然ながら正解はないので、かなり難しい局面にあるといえる。

昨年6月に理論に関してボコられたことが地味にトラウマになっており、12日が憂鬱だ。それに、別に12日で全てが終わるわけでもない。27日に口頭発表本番を迎え、12分の発表に加え、3分間の質疑応答を乗り切って終了だ。はあ、早く終わりたいな、これは。

院生メンターの方からは、「また打ちのめされる日々が始まるから、一旦休んでおいた方がいい」とのアドバイスをいただき、私はそうしたのだが、一度休むと再びペースを元に戻すのは難しいなと感じた。もしかしたら私は、休みなくずっとやっていた方が良いのだろうか?それはそれで息切れしそうだが。

二つ目はプログラミングだ。Techpitの無料期間は1月12日までなので、それまでに開発を進めた方が良い。こんなチャンスは多分、中々ないからだ。でもエラーが解決しなかったので、一旦離れているところだ。私は自分にストイックなので、チャンスを最大限活用していないと、それだけで既にマイナスなように感じてしまう節がある。マイナスではないはずなんだけどな。

2. 早起きできないことによる自己嫌悪

卒論を執筆していたときには、一時期10時起きの生活が続いても、何とかかんとか立て直して9時に起きたり、8時半に起きたりすることができていた。

だが今はどうだろう。卒論提出後、年末年始と、10時か10時半に起きる生活が続いている。しかも夜寝るのも遅い。布団に入ってからスマホで小説を書くなどして、寝始める時間がかなり遅れるのだ。例えば布団に11時半に入っても寝始めるのは1時だし、布団に入る時間が遅ければ、寝始めるのが1時半や2時近くになることもある。朝起きるのも、8時半くらいに目覚ましを止めてそのままうとうとしながらスマホを見て、思いつくままに微睡ながら小説を書いて、そのままダラダラうとうとしていたら10時を過ぎている、ということが最近のトレンド(?)だ。

これが卒論提出直後だけならばまだ許せるのだが、もうそろそろ「きちんとした時間に寝てきちんとした時間に起きる」生活に戻りたい。そうでないと、午前中には脳が特によく働く時間帯があるのにもったいないし、一日が短く感じられてしまい、これまたもったいない。そう、最近は特に、日照時間の短さも相まって、すぐに一日が終わってしまうように感じられる。それで、「ああ、今日ももう終わってしまった」と思って風呂に入り、布団に入るのだ。

現在早起きすることの難しさは、「別に早起きしなくても大丈夫」という点にある。つまり、大学の授業やアルバイトが朝早くからあるわけではないので、早起きができなくても、どうということはないのだ。そう、強制する要素が皆無なのだ。だから、早起きするかどうかは、私自身の意思の強さにゆだねられている。これは難しい。

3. LINEの無視を引きずっている

既読無視か未読無視かは分からないが、私はここ数カ月で合計3人の他者から「送ったLINEへの返信が来ない」ことを経験した。どの人も普通に好きな良い人だったのでショックだった。LINEで無視されたというだけでもう、私のその人への感情がマイナスにがくんと傾いている。

特につい先日無視された人には、もう本当にがっかりしてしまった。私がLINEした内容は、友人の卒論調査に協力してほしいというお願いだった。10秒の動画をみて、何が見えるかを教えてほしかっただけなのだが、それだけ簡単なものでも、頼みを聞いてもらえない、または理解されないことがあるということがわかった。他者は私とは違うのだ。

他者に対して期待するな、自分の考えや行動を世界の全員がすると思うな、そもそも頼んだ側には無視されても文句を言う権利はない、もしかしたら違う理由で返信が来ないのかもしれない(例えば忘れているだけかもしれない)などなど、そういったツッコミができるだろう。私も頭では分かっている。自分が心の狭い人間、器の小さい人間だということも、分かっている。でも、どうしても感情ってものがあるじゃないですか。何と言うか、辛いものは辛いというか、嫌なものは嫌じゃないですか。だから落ち込んでいるんだよなあ。

4. Twitterで他のフォロワー同士の会話を見て羨ましい

私のフォロワーとフォロワーが、会話をしているのがタイムラインに流れてくるのだが(やめてほしい)、それを見る度に、「私も話したい」「混ぜてくれや」という気持ちになってしまう。絵を描く人は絵を描く人同士で交流なさっていて、どうしても羨ましい。

多分、絵を描く人に対してコンプレックスを抱えているのだと思う。そういう人って、フォロワーが多かったり、楽しそうにしていたりする(ように見えるだけかもしれないけど)から、何となく「人気者」「上の人々」みたいなイメージを私が持ってしまっているのだ。人間に序列などないのにね。フォロワーの数などで、すぐに人間同士を比べてしまうのをやめたい。人類皆平等って思いたい。とても難しい。

当然ながらコミュニティはここだけではないので、この人間関係に固執する必要も一切ないのだが、どうしても視野が狭くなりがちなんだよな。必ずしも24時365日同調しなくたっていいし、他の人と他の人が会話していることは別に私が仲間はずれであることを意味するわけでもないし、人に好かれるために生きているわけではないし、Twitterだって好きなものを好きだと言うために使っているのだ。だから何というか、目的を見失うと、「フォロワー同士の会話羨ま~」という黒い気持ちになるのだ。楽しむためにやっているのだから、楽しもうではないか。

5. 顔や頭皮がかゆい

私はじんましんを持っている。特にストレスを抱えているときや睡眠不足なときに、身体がかゆくなりやすい。そして特に、脚やお腹や背中がかゆくなりやすい。

しかし最近は違い、おでこや頭皮がかゆくなりやすい。これまたしんどい。なぜならば、頭皮には何も塗れないからだ。薬もミルクも塗れないから、ただただポリポリするしかない。顔も、物を塗ることはできるが、劇薬であるステロイド(めっちゃ効く)を塗るわけにはいかないので、結構しんどい。飲み薬のステロイドを持っているが、これはあまり飲むべきではないので頼りたくない。なぜならば、有害物質が少しずつ肝臓に溜まるからであり、それは出産によってしか排出できないからだ。

顔や頭皮がかゆいと、夜寝る時にも気になってしまう。ぐぬぬ、何とかしたい。自然消滅してくれると助かるが、原因は何なのだろう。

6. 運動不足に焦り

疫病が流行り始めて、早1年。運動不足の日々が続いている。この1年、かなりの運動不足で、私は事あるごとに「やべえ~でもイレギュラーな事態なのでもう少し待てば収まるし良いか」と思い続けてきた。

そういって1年経った。未だ疫病が収まる気配はなく、ワクチン接種開始は2月に開始で、特効薬もままならない。「もうすぐ終わるから今くらい運動不足でも大丈夫かな」レベルではなくなってきた。意識して運動しないと、結構ガチで運動しない日々が続く。それに引きこもって生活しているので、気分転換が必要そうだと感じている。

しかし同時に、外に出ることが億劫にもなってしまっている。これはまずい。それに加え、先日、大好きな漫画のグッズが東京、大阪、名古屋、仙台で期間限定販売されるとの知らせを聞いた時にも、第一に「仙台行くのだるい」と思ってしまった。以前ならば「行くわ!楽しみ~」となっていたのだが…。疫病の恐怖があるからこのような感情になるのだ、というのを含めても、この感情を抱く自分に危機感を覚えた。

7. 未来への漠然とした不安

私は4月から東京で新社会人生活を始める予定なので、引っ越しのための家探しなどを行う必要があるのだが、少なくとも今は「これ行けるのか…?」「ていうか東京行くの怖いから嫌だ」という感じだ。未来への不安がじりじりと心の中でうごめいている。親にも色々労力や時間を割いてもらっているし、これからもそうなる予定なので、猶更不安と申し訳なさがつのる。

プログラミングも不安だ。今は勉強中で、前述の通りやる気が起きないのはもちろんのこと、エラーが出てつまずいて、それ以来できていない。でもエンジニアになったらそうはいかない。エラーが出て心が折れそうになろうが、自分のやる気がどん底だろうが、期限までに完成させてリリースしなければならないだろう。今年4月から、果たして私はこれをやっていけるのだろうか?心がまた折れる気がしてならないのだ。

結論

多分、休み明け特有の鬱状態みたいなものだと思う。現実に引き戻された感じの。GW明けとか夏休み明けにしんどくなる人みたいな。

でも、しんどいと同時に、心の中のもう一人の私が、私にエールを送る言葉を持っているようだ。このようなメッセージが湧き上がってくるようになったのは、大学生になってからの大きな成長の一つだと思う。最後にそのエールの言葉を、ちゃんと文章にして、ここに記しておこう。

人のコンディションは毎日違う。うまくいく日も、うまくいかない日も、気分が良い日も、気分が悪い日もあって当然。それでよい。
自分は自分、他者は他者。自分にとっての常識は人にとっては全然違うかもしれない。他者のことまで背負い込む必要も全然ない。
完璧を求めすぎるな。いっても80%くらいでいい。そもそも、今既に私はめっちゃちゃんとしてる。多分世の中の大半の人よりしっかり度が500倍くらい高い。他者に期待し過ぎるのも、自分への厳しさの表れかもしれない。
量と質のバランスが大切。時間をかければ良いというものでもない。逆に言えば、時間をかけずとも、しっかりと作業すればちゃんと完成させられるはず。だから過剰に焦る必要も責める必要もない。
依存先を増やすことで、自立は果たされる。一つのもの、一か所の人々に対して深く考えすぎる必要はない。
人とは交流したいときのみ交流せよ。一人で叫びたいときにはお構いなく一人で叫んでいれば良い。ずっと一緒にいること、交流量の多さが、必ずしも仲良し度とイコールとは言い切れないはずだ。
・先生も言っていたように、やる気が起きなくてもあまり気にしすぎなくて良いし、今年は100%の力を出せなくてもしゃーないだろうし、少しずつやっていくしかない。

ああ、もうこんな時間だ。ではまた!

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