見出し画像

2023 食事と短歌日記 春の巻


日々は過ぎてゆく。

2022年に異動になり、お昼の勤め先に。
忙しさにかまけて、私は何をしてきたのか?
(そのうち2022のことも思い出して書きたい)

iPhoneのメモには詠んだ歌だけが残っていて、それは私の日々だ。

風の匂ひに混ざつて花の、戻れないことを教へてゐるやうな

3月某日(このメンバーではいったん解散だ)

職場のひとたちと少し美味しいものを食べに行く。
創作和食。ふだん気楽にご飯を作って食べているので、こういう機会に新たなヒントを得る。出汁、素材が良いとたいていのものは美味しい。異動すると、その1年目は怒涛のように過ぎてゆくし、人間関係を構築するのに気苦労もあるのだけど、なんとか乗り切ったな、と。途中コロナで倒れかけたり、熱中症になりかけたり、あれこれとしごとについてはあった。あったが、周りのフォローと人間相手のしごとゆえ、なんとかした。なんとかなった。そのメンバーのひとりが、春から在外派遣だそうで、将来は学校を作りたいと。なかなかの冒険者だと思う。でも、ちょっと羨ましくもあって、色々とビジョンがあることは良いなあと思う。
街の灯りが柔らかで、電車に乗ってると次々と同僚たちが乗ってくるものだから面白かった。四月からのしごとばでのポジションを心配しつつ、またなんとかなる、なんとかする、と呪文のように思った。

相槌が上手い方のわたしです今日お話しを伺つたのは

4月某日(それは眠たかった日々)

スーツというものがしっくりこない。でも今年はわりと多く着なくては。将来についてのあれこれを、10代の人たちに話をする。今やらなければいけないこと、、、と言いつつ、やらなければいけないこと?、「ねばならない」で考えるのもなあ、と両方を思って喋る。そして、思いもよらないしごとに就いてるのは、私自身なのだった(君たちの年頃の私は朝起きられなくて、なんとか卒業したのだった、眠たい日々も大事だよ、と言うわけにもいかないので、真面目な顔をして話すのだけれど)。その頃読んでいた川上弘美の小説(『光って見えるものあれは』だったと思う)に、「人生はうろうろしてそれで?」という文があって、当時は呆然とした。真面目に人生これからどうしよう?と14歳〜18歳くらいの頃は悩んでたし、しっかり歩まねば、とさえ思っていた(そのわりには中学校に3分の2くらい行けず将来はさっぱり見えてなかった)。なんとまあ、こんなことを書く人がいるのかという驚きにより、悩んでたことがすっぽり抜けて、ちょっと楽になった。恐るべし、川上弘美。まあ、それでもその後も悩んだり選択したり狼狽えたりじたばたしたりしてきた。高校の先生と友達よ、めんどくさい私に付き合ってくれてありがとう、と思う。めぐりめぐってこうして、10代の前で話しができていることが不思議でもあるし、そういう流れなのだ。
ヤクルト1000生活をはじめ、日々適当にお弁当を持っていく。ハナミヅキが咲いて、いつのまにか若葉になりかけている。何歳になっても、どこかで14歳と17歳くらいの自分を引き連れているような感じがする。良いのかはわからない。そのあたりに形成された価値観が強くて、ずっと自分を支えてくれた過去の私だ。

とほくとほく人を恋ふことありけむと漢詩のなかに俯くひとは

5月某日(遠くて明るいものたちへ)

5月はしんみりする。実父(私が生後5ヶ月で亡くなった)、3年前急に亡くなった親友。見えなくてもそこにある、と思うことは間違いじゃなくて、子どもの頃からそう思ってきた。深い淵に落ちてしまわないように、自分を支える術を身につけてきたように思う。本を読むことであったり、自分で書くことであったり。人のいるほうへ歩いてゆくことであったり。
ということを、自然のなかで思った。5月は考えごとが深まってしまう。近頃しごとで北区のしあわせの村に行くことが年数回あって、なんなんや、しあわせの村というネーミング、、と思いつつ、遠くの見えないものについて考えている。勝ったり負けたりしてる10代の試合を見つつ、そういう時間の明るさにはっとさせられたり、しょうもないことで笑うことが大事だと改めて思うなどした。すごく朝早く家を出て、シーチキンツナのおにぎりを山の中で食べているからか、しごとで山にいるのに気分はまあまあ良い。