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晩夏あたりの日記
人の死は数字にならず枇杷の木に夕べのひかり差し込んでくる
『風を待つ日の』(青磁社)より
たぶん、この疫禍が終わったら、記録用にもなる記憶。
7月 熱海で土砂崩れ 人災 オリンピック開催
8月 線状降水帯により各地に災害 デルタ株によって感染爆発、医療崩壊。
7月某日(下旬)
緊急事態もまんえん防止も出ていないので、久しぶりに人と会う。ほんとうに人と会うことに久しぶり過ぎて饒舌になった自分が面白い。地元の駅前でさえ、ほぼ1年行ってなくて、閉店とか様変わりしていて、さみしい。5月あたりの暗い夜に相当こころがまいってたので、こうして奇跡的に人と会えるのが嬉しい。夜風が夏だった。
7月某日(下旬)
しごとで隣の市まで行く。駅からの道が暑くて暑くて、かき氷など食べて夜まで頑張った。熱中症にならないようにコンビニで大量に水分を買う。感染者がぞろぞろと関東圏で増えている。夏というのは植物がぐんぐん伸びるように生命にあふれている一方、すごく暗さも持っていて、その明暗に時々くらくらとする。
8月某日(初旬)
オリンピックは正直なところ、見ていない。開会式のみ見た。森山未來のこの今を鎮めるような舞踏しか心にくるものはなかった。閉会式は一瞬見てやめた。オリンピック、アスリートのそこにかけてきた努力と、熱意に敬意を向けておきたいが、一方で家にも帰れずにずっと医療現場で奮闘されている人たちがいることを思うと気持ちの均衡がとれない。既定路線をなんとしてでも進めたい人たちがいるのを察した。熱海の災害の報道も少なくなって、現実は切り取られるものだな、としんみり思った。
8月某日(初旬)
豪雨が来て止むまでを眺める。雨の音が過ぎ去るのを確かに聞いたのは久しぶり。家に帰ってから原稿を書く。同人誌の原稿。詩の作品は進まず。歌集の感想を読み返事を書く。
8月某日(中旬)
祖母は90代で、老人ホームにいるのだけど、このコロナ禍のせいで、ゆっくり会えずにいる。こんなコロナ禍ではなかったら、ホットヨガにも続けて通えて途中で喋りに行ったりできたのになあ。おはぎが好物なので、差し入れに行く。甘すぎず隙のないおはぎだ。
8月某日(お盆)
お墓参りに行く。大雨の合間をぬって。2年前に伯母が亡くなって、なにかと大変になっている。私の本好きの何割かはこの伯母に由来しているところもあるので、彼女がこの世からいなくなったことがさびしい。夏休みになると、小学生の頃は読書感想文の指導などしてもらった(伯母は小学校の先生だったから)。尾道とかにも行った。今はもう何もないけれど庭に花をたくさん育てていて綺麗な庭だった。リモートで短歌の友人たちと飲むなど。仕事以外の人との会話がとても大事。ストーリーオブマイライフを観る。
8月某日(下旬)
連日、感染者があちこちの県で過去最多を記録。二万人を超える。職種によって休日を変えるとか、在宅勤務をもっと入れるとか、危機度数に対して具体的な態勢をつくらないとおさまらないと思う。リスク管理はどこでも必要だけど、2ヶ月先を考える、半年先を考える、1年先を考える…というように「起こること」前提で準備がいると思った。根拠もないのに、起こらない、安全です、ではなく。墨田区の医療体制なども読んで、しごと上でもリスク管理をもっと重視しようと思う。吉井和哉の「みらいのうた」を聴いて正気を保つ日々。
8月某日(下旬)
親友から突然の電話。彼女はドライなので電話もLINEも会う約束と近況報告しかしないから、昼間に電話が珍しい。何?どーした?と思って電話する。親友から学生時代の友人の訃報を聞く。しばらく放心する。言葉が追いつかない。
8月某日(下旬)
昼食を買いにコンビニへ行ったら、霧が出ていてしばらく眺める。山の真ん中からさあっと上へ広がって、美しかった。現実に起きていることに色々気持ちが追いつかないけれど、それでも生き延びなければいけない。月末までに2つの詩を書く。
歌集を出して、そろそろひと月になりました。