2020/09/06
こんばんは。8/28(約一週間前だが)で一区切りのあるワークショップが終わった。だいぶいい経験をした気がする。そのワークショップは北欧間での学生と日本の学生間でのワークショップで学年を問わなかったのでそういう意味でもいい経験になったと思う。ここで感じたのは、まず自分の実力不足だ。グループの中で一番年下だったけど、それを抜きでも自分にできないことの方が大きかった。自分が考えたことへのプレゼン能力、他人の案への意見の伝え方、プレゼン資料の作り方、どれを取っても負けている点の方が多いと感じた。卒論や卒業制作の4年生を除けば、大学生活は、あっという間に半分を経過した。ここまで自分が何を学んできたのだろうか。努力が足りないことや考えることから逃げていることが浮き彫りになった。個人的に一番大きいのが情報量の差である。本を読む、雑誌から情報を受け取る、次から次へと事例を紹介していく、グループの人とは、そこに違いが感じられた。たくさんの情報を受け取り、自分で考えていくことそれが建築のみならず、重要なのである。春学期は、建築とは少し違ったデザインのアウトプットの授業があったがそこでモチベーションを失い適当な作品を出していたという自覚もある。秋にそういった授業をとるのかそれとも本などから知識を蓄えるべきかこれから考えなくてはならないことの一つである。何かに対して、考え続けることを辞めてはいけない。また、オンラインのワークショップであったために敷地に行くことができず、自分たちの想像力が試された。特にスケール感が狂いやすい。最終的にclusterというアプリに出力することでプレゼンをしたのだが、そこでやっとスケール感がわかる。だがこのアプリを使う場合、データが重いと不便であるため、なかなか不便であった。ドミニクペローのように敷地に行かない建築家もいるが、学生のように経験が浅いうちは、敷地に足を運び、自分の目と足で感覚をつかみ取る必要があるとも感じた。敷地はデンマークだったが非常に魅力的な国であった。ヤンゲールの思想の下で生まれた歩行者や自転車のための公共空間、BIGのダイアグラム的な建物たち、そこにいる人々の暮らしを調べる限り行ってみたくて仕方なくなった。
そのワークショップが終わって二日後、次は四国へ建築学科の友達と旅だった。春にコロナの蔓延の影響を受け、あきらめた旅行のリベンジだった。自分はほとんど計画をしなかったがいい旅行になったと思う。結局のところ印象的だったのは豊島美術館だ。美術館という枠には収まっていない。瞑想空間という方が近いのかもしれない。友達の一人は寝ていた。シェル型の構造により声が反響しやすい環境で小さな声で話すように伝えられ入った先には、美しい空間が広がっていた。穴から入り込む光や落ち葉、バッタも見つけてしまった。自然を受け入れていたという言い方が自然だろうか。仕組みは教えてくれなかったが高低差を利用した水が床面から湧き出る仕組みは、人々の視線をミクロなレベルまで落とす。私の場合はほかの観覧者が寝そべっていたから寝転がったが最初に来た人も寝そべるのだろうか。週に1回以上ここにきても飽きないのではないか。むしろ行きたいくらいである。また、もう一つ印象的というか気になった建築家がいた三分一博志氏である。この旅行では犬島の精錬所美術館と直島ホールを訪れたがどちらも印象的で特に犬島の方は現地の方にいろいろと聞けたのも幸いし、興味深かった。彼の思想としてまだ勉強中だが光や風、熱などの環境に対してよく気を配っている。自分が目指す建築家像になりえる考え方だ。この人に関しても本を読みたくなった。
別件で反省事項(メモとして)ドライブ中スピード違反をくらい、1万八千円の罰金を食らった。正直むかついているがルールはルールなので支払うしかない。免許停止になってはシャレにならないのでより一層スピードに関して注意しなくてはならない。
Goh
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