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本屋には全てがある

定期的に本屋へ足を運び、何冊か買う。

ネットで探すのではなく、わざわざ本屋へ行こうと思うタイミングはいくつかある。

一つは、目当ての本が漠然としているとき。例えば、「小説読みたいな~」とか、哲学について勉強したいけどどの本が良いのか分からないとき。

次に、何か新たなきっかけを求めるとき。

ネットが普及した今では、本屋へ行かずとも本を買えるし、本を買わずともネット上で読むことができる。

しかしネット購入では得られないものが本屋にはある。

それは、思いもよらぬ出会いである。

本に限らずネットで物を買うとき、恐らく「本 小説」といったように検索をかけるだろうが、これでは想定内のものしか引っかからない。そしてそこから導き出される関連商品も当然同じ系統だ。

本屋にも検索機があるが、あれは目当てのものが決まっているときにしか使わない。だから何を求めるでもなくただただ本屋の中を歩いてほしい。

もう一度言う。本屋に全てがある。

独ソ戦争、だしの使い方、相撲、きゅうり、AI、赤本、渋沢栄一、節約術、恋愛小説、、、

こんなにも多様なものや人が集まる場所は本屋以外にない。いや、実際はネット上にも集まっているはずが、見つけることができないのだ。

本屋ではただ漠然と歩いているだけで出会えるのに、ネット上では必ず自ら検索をかけないと会うことができない。これはある種の「あり過ぎる」というネットにおけるメリットでありデメリットだ。

だから仮にネット上で新たな出会いがあっても、それは本屋での枠を超えない。

付け加えるとするならば、あまりにも広すぎる本屋や何階にも渡って大きい本屋では、どうしてもどこに何が置いてあるか案内図を確認してしまうため、その点ではお勧めしない。ジャンルごとに空間が分けられ過ぎていると便利だが、ここでは不便だ。適度に歩いて、たまたま目に留まった本が「今」の自分に刺さる感じがいい。

しかし移り変わりが早過ぎる時代。店が潰れては新たな店が建ち、流行が流行である時間はあっという間。本当に価値があると大衆に見なされた砂金のような粒しか残っていかない。大半の人々の関心は「本当の価値」より「新しさ」

だけどここでまた本の魅力が際立つ。

本とは遅効性のメディアである。

もちろん読んでいて面白くないと思う本を最後まで読む必要はない。ただ本は、読むのに時間がかかる分だけ、その瞬間以外にも気づきを与えてくれることがある。

また、本を読む際は多様なりともゆったりとした時間と空間が必要だ。全てにおいて早いこんな時代でも、ゆっくりした時間を読書が勝手に与えてくれる。

それだけでも十分価値のあることだと思う。

何かに迷ったら本屋へ行くといい。「今」の自分に合った気づきや出会いを与えてくれるかもしれないから。

Shingo




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