僕は生姜が大嫌い
あなたがこの記事を読んでどう思いどう受け止めるか、僕には分からない。
あれが好き。これが嫌い。
100人が生姜を好きでも、僕は生姜が嫌いだ。
身体を温める効果があるとか知らん。あの匂いも味も僕にとっては鳥肌製造機だ。
人生とは主観なのだ
「綺麗な景色が見たい」とあなたが言って、友達のおすすめスポットへ行く。たとえその景色にあなたが満足しなくても、友達を責めることはできない。だってその景色は友達にとって綺麗なものであって、あなたがどう思うかは友達の範疇の外だから。
そう。人生とは主観なのだ。
客観的な事実は存在しても、受け取り方は本人の主観次第。
生姜が身体に良いという客観的事実はあっても、僕にとっては嫌いな食べ物だ。まさに主観的な捉え方。
あなたにとって綺麗な景色も、誰かにとってはそうではない。
だから自分の価値観を否定されていい気持ちになる人はいないし、そもそも他人の価値観を否定することに意味はない。違っていて当たり前だから。
進むべき道
人生にはいくつか分岐点がある。一般的なのが高校進学とか、就職とか。
その道の先には大体「先にそれを経験した人」がいて、つまり前例があると思う。先輩って言い方をするかもしれない。
①その前例は誰かが経験したものであって、あなたの道ではない
いくら同じ道といえど、その道の中で見出すものには個性や個人差が出る。だからあなたがやる意味は必ずあるし、仮に先人と同じ道を歩んだとしたらそれはあなたに原因がある。
②どの道に進もうが、正解も不正解もない
前例の数が多いほどそれだけの人が経験したことを意味するから、いわゆる安全な道とされがちだけど、自分の進みたい方へ進めていればそれでいい。
ここで共通して言いたいのは、他人の評価などどうでもいいということ。
自分の貫きたいことを貫いて、進みたい道にいればそれでもうある意味完結しているのだ。
「あいつは何かのらりくらりしてるよな」
「あの時ああしとけば良かったのに」
「早く安定すればいいのに」
こんなこといくら言われてもいい。他人の価値観を通した一意見に過ぎないのだから。
他人の価値観が自分の価値観を変えたり、自分の道を決める判断材料にはなっても、自分の道を決定するのは自分だ。それ以上でもそれ以下でもない。
自分にできること
「自分にできること」
それは自分が見える世界を、自分で色鮮やかにしていくことだと思う。
何色を塗ったっていい。
7色揃えたら綺麗だろうし、統一感を持たせても美しい。
それこそ主観に基づいた個性出るところ。つまり、
あなたにとって何が重要なのか。何が好きで何が嫌いなのか。
どんな道を進んで、どんな自分でいたいのか。誰と一緒にいたいのか。
それを決めるのも変えるのも自分だけができること。
僕は僕の「価値観」「主観」を大事に生きていく。
少しでもより良いものを作っていきたいので、「スキ」や「コメント」もお待ちしています。