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台本の書き終わり

この人生は
これから作っていくものだ
という考えには賛成だ

そうだ、明日がある!
前途洋々

ただ、それと同じくらい
生きるってなんだろうとか
なぜにここまでわからないことが多いのか
不思議なことばかりなのか、がある

これらを簡単なスピ用語でいえば
自由意志だろう

おっと、ちょっとすっ飛ばした感はあるけれどw

運命とか
努力とか
宿命とか
勝ち取るとか

だから
だから?
軸足をどちらに置いてもいいと思う

自由意志はある、だろうと
自由意志はない、だろうと

オレが決めたんだ!
オレにはそんな力はない!


さて、前置きはこのくらいにして
自由意志は、というか
台本は書き終えている、ということについて書こうと思う

自由意志はない、寄りの話だ

自由意志がない、とした時に「不安」が持ち上がるが
その「不安」すら、赦されている範疇だ
ジタバタするのすら、赦されている範疇だ

範疇…
台本は書き終わっている

受け取るものは、いつも投げられたボール
いつも「先」から投げられたボールを
受け取ることしかできていない
時間軸があるとするなら
すでに「過去」だ
未来から投げられるボールを受け取ることしかできない

このボールは嫌だ、すらボールだ
そして、すべてのボールが安全だ

安全というと
死なない、ように聞こえるかもしれないけれど
全然そんな話じゃないw

ボールがいやならアンパンでもいいやw


あぁ、台本を書きながら瞬時にその内容を会得している
でもいいけれど
まぁ、そこらへんは好きなように理解してもればいいかも


話を戻して
ボールはいつも気づくと手元にある
気づくとあり、
「すみませーん、どなたか知りませんけど、このボールはちょっと変更お願いできますか?」
もボールで手元にある

引き寄せていること自体引き寄せているのボールのボールだ
え?w

台本の内容が、問題だろうか?w
すでに注目すべきは、このボールが手元にいつもある
の方じゃないだろうか


ハッキリ言おう
「このボールが手元にいつもある」に終わりはない

みんな、そこを見たくないのだよ
赦しなんてまっぴらごめんの反逆者たち

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