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そもそも私は外科医なのか[4通目 さーたり・中山交換日記]

本企画「さーたり・中山交換日記」では、漫画家・肝胆膵外科医のさーたりと、作家・大腸外科医の中山祐次郎がお互いに聞きたいことを交換日記形式で聞いていきます。コンテンツの作り手であり、外科医でもある二人の公開往復書簡、3通目の中山からの返信です。


拝啓 暑い暑いと書いた前回の手紙から2週間たち、このまま夏になるかと思ったらこの数日の東京は肌寒い日が続いています。衣替え?しなくてよかった~。先見の明があるわ私。(早よしろ)



先生のお返事を拝見しました。


私はなぜ書くのか。
私は、これを考える時、富士山登山を思います。


先生は書くことを「登山」にたとえられました。
ところが私は真逆に「潜水」に近いイメージを持っています。
富士山登山ではなく、日本海溝にでも沈みましょうか。
どちらも行ったことないですけど。

深く深く潜って息をひそめて暗く静かな場所まで沈んで。
自分自身を煮詰めて。
「鍋の底に残った本質」
が、先生のいうところの「真実」に近いのかもしれませんね。




ところで今回の質問


「外科医をいつまで続けるか」



そもそも私は外科医なんでしょうか。
医師免許を持っているから医者だし、
専門医持ってるから外科医だろうから
カテゴリーを問われれば「外科医」と答えるし
専門は?と聞かれれば
博士号とったのは「肝胆膵外科」だから肝胆膵外科ですと答える。


でも改めて「外科医ですよね」って聞かれると
「うん…そうですね外科ですねえ」
と曖昧な答え方をしてしまう。



私は今まで、事故や出産育児のために
仕事=手術をやりたくてもできない、
専念することができなかった時期が何度もあった(今もちょっとそう)
からか
私自身を外科医として認められない反面
外科医でありたいと強く願い
ここでやめたら一生後悔するぞと念じながら
「外科医」のカテゴリーの端っこにしがみついているんです。
たぶんほんとちっぽけなプライドってやつです。
歩めなかった道を人より遅れて歩み
なりたかった自分にはほど遠く
それでも諦めきれない。

はやく「外科医」になりたい。


外科医はいつかメスを置く日が来る。
じゃあメスを置いた外科医は何になるんでしょう。
消去法で内科医になるわけではないし、「元・外科医」と名乗ればいいのでしょうか。
メスを持つ=執刀しなくては外科医ではなくなるのでしょうか。
自らメスを持たなくても手術に関わっていれば外科医なんでしょうか。
メスを置いたり持ったりしてる私は果たして外科医なんでしょうか。



なんかそう考えるといつか
「あ、私外科医だ」
とふと思える日が天から降ってきて
その時が「外科医やめてもいいかも」と思う日なのかもしれません。
たぶんその日は抜けるような晴天で
気持ちのいい風が吹いている気がする。




ということで今回の答え


「私が自分を外科医と認める時まで」


とかいいながら実際は
「私?外科医…ですねえ」とか言いながら
一生細々となんかやってそうな気がします。


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