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萬治と静子

冬が近づく日本海。
鉛色の空、暗い海、風に流される海鳥。
大波が砕け散る岩壁に男が立っている。
男の名は喜田村バロン(以下バロン)。

東京の美術大学を卒業し画家を目指したが思うようにならず、生き直すつもりで日本海に沿った山陰のこの小さな町に引っ越してきた。
いわば都落ちだが、都に帰る仕事も金も無いので、落ちたままだ。

バロンは伊豆の生まれで、小学校のころからその才能を現した。
例によって両親もその気になり、周囲も持てはやしたが、現実は残酷だった。

美大に入ると自分より優れた者は星の数ほどいた。
全国から集まっているのだから当然そうなる。
バロンは自分のいる場所が毎日のように沈下していき、賞賛される者たちを穴の底から見上げているような気分だった。

どんな世界でもプラスワン、プラスツーに加え、チャンスも営業的才能も必要なのだと気づいた。
しかしバロンは人との関係を築くことが下手で、それを助けてくれる人物にも出会えなかった。

たった一人、自分を理解し扉を開いてくれそうな同窓生がいたが、卒業を目前にして問題を起こし中退してしまった。
癖のある笑い方をする顔がどことなく非凡さを醸し出していたが、今は連絡も途切れ、どこにいるかもわからない。

美大時代にバロンが唯一評価されたのが練習用に描き続けていたアメリカ風の現代美術的習作だった。
日ごろはバロンを腐す仲間もこれには黙った。

声をかけてくれた画商がいた。
しかし自分の思うところと違う、時間はまだ十分ある、と考え断った。
その先にあったのが山陰の岩壁に立っている今のバロンだ。
あのとき、とバロンはたまに思い出す。

「井の中の蛙 大海を知らず」に東京に出て、「十で神童、十五で天才、二十歳過ぎればただの人」をそのまんまなぞってきたバロン。
気がついてみれば両親は年老い、家族もいない。

美大はなんとか卒業して広告会社に就職したが、それでも絵描きが忘れられない。
自主退職し、改めて画家の道を志した。
あとから思えば画家をダシにして広告業界から逃げただけだった。

そして次は山陰への移住。
人生は選択だといわれるが、その選択を間違い続けてきたバロン。
トーキョーで希望に燃えていたころの風は暖かかったが、しかし今のこの風の冷たさは、まさに絶望の冷たさだ。

移住してその日にここに立ったときは自分を挑戦者に例えたが、それもしょせんは自己陶酔だった。
その結果は怒涛に立ち向かって荒波にさらわれ、溺死しているような今の自分だ。

何か何かしたいが、さりとてバロンには他に能もない。
「このまま老いぼれるのか、ふざけんな!ちっきしょー」
と叫んで足元の小石を蹴った。
ポーンと飛んで崖下に消えた。

すると後ろで人の気配がした。
振り向くと、いつの間にか男が二人立っていた。
年配の男と若い男だ。

年配の男は記憶にある顔だが誰だっけ、わからない。
横の若い男はバロンに軽くお辞儀をした。
遊歩道のほうを見上げると女が一人立ってバロンに手を振っている。

女は笑っている。
「あれ し・・・ まさか」
バロンはまた男を見た。
男は癖のある笑い方をしながらバロンを見ている。

この癖のある笑い方、あいつに似て、エッと思ったが顔がチガウような・・バロンは混乱している。
すると男が言った。
「オイッ生きてたか、オレだよ」

「まさか ゴトウ」
「ああ、そうさ満治だよ」
「じゃあれはやっぱり静子さんか」
「そうさ、オバサンになっただろう、オレももうオジサンだよ、懐かしいなオイ、会いにきたんだ少しは喜んでくれよ」

バロンの顔がくしゃくしゃになった。
「お前こそ生きていたか。顔が変わって一瞬わからなかった。なんていうか迫力というか貫禄というか、別人みたいだぞ。お前に似てるとは思ったが、まさか本人とはな」

「最後に会ってから十年だ。オレも色々あり過ぎてな。今も変わらず騙したり騙されたりの世界に住んでる。背中には菩薩も住みついているしな、人の五十年を十年で生きてきたようなものだ。人相も変わるよ」
「入れ墨も入れたのか」
「うん、これで腹も座った、業界じゃオレも有名人よ」

ゴトウこと五島萬治(以下萬治)は美大時代のバロンの無二の親友だ。
ともに同期でバロンが入学式で初めて話した相手が萬治だった。
聞いてみると萬治も同じだった。

萬治は美大の教授陣ですら将来はと期待した逸材だった。
画はバロンより数段上だったが、なぜか二人は気が合い、いつの間にか生涯の友になっていた。

萬治は日本画が得意でその道を歩くはずだった。
しかしアルバイトで行ったクラブの女と好い仲になって脱線してしまった。
その女が静子だった。
普通なら別れるところだが萬治は静子を取った。

静子が背を向けてくれたのだが、それを萬治が許さなかった。
あのとき萬治が
「男の美学よ」
と言った言葉をバロンは忘れていない。

そんな軽い言葉で画の道を捨てる気か、とバロンは思い何度も止めたが聞かなかった。
バロンの目の前で、上京してきた萬治の父親が「あんな商売女」と叱ったことで警察が来るような親子喧嘩になったこともある。

そして萬治は言葉通り、絵筆を捨てて金と入れ墨の世界に飛び込んだ。
しかし同時に萬治のその無茶苦茶ぶりがうらやましかったことも覚えている。

「オレには静子が総てだよ。日本画の大家はあきらめる。お前はオレのぶんまで頑張ってくれよ」
と当時は事もなげにバロンに言って美大を中退し、静子のつながりでヤクザっぽい会社に就職した。

決めたら迷わない萬治の生き方は学校や学生からは否定的に見られたが、バロンは理解していた。
そのころから萬治のほうがバロンと距離を置くようになった。

「バロンを巻き込みたくないんだよ」とは共通した知り合いの言葉だ。
その後一度週刊誌に萬治の名前が出たことがある。
骨董品の詐欺に関連した事件で、わざわざ美大中退のヤクザとして取り上げられた。

バロンは萬治がいる刑務所に幾度となく通った。
あるとき萬治のほうから絶縁の言葉が出た。
バロンの立場がますます悪くなることを心配してだ。
そして仮出所したこともわからず、そのまま音信不通になってしまった。

「お互い元気で良かったな」
バロンが言うと萬治は何も言わずにバロンを抱きしめた。
バロンの耳から怒涛の響きも風の音も消えている。
聞こえてくるのは萬治のかすかなすすり泣きだけだ。

 バロンの車に乗って家に戻った。
4人がキッチンで話している。
若い男は丹下といい、萬治の秘書兼営業部長だという。
「丹下さん、若いのに部長はすごいな」

「こいつはムショ仲間だよ」
「ぼくも詐欺で」
バロンが笑うと丹下はシャツの袖口をまくり上げた。
入れ墨がのぞいている。
「丹下の入れ墨は全身だからな」

すると静子も言った。
「バロンちゃん、私のも見せてあげるよ」
静子はバロン・萬治より歳が二つ上だ。
「おい、いくらバロンでもあまり脱ぐなよ。親しき中にも礼儀ありだぞ」
「じゃちょっとだけね」

静子は後ろ向きになって腰からブラウスと下着を少しまくり上げた。
なるほど入っている。
「わたしのは牡丹と弁財天」
「静子さんは当時は弁財天だけだったよね」

「うん、あれからね牡丹で飾ったのよ」
「三人とも入れ墨か」
「入れ墨だけじゃねえぞ、三人ともムショの卒業生で今じゃ貿易会社の社長夫婦とその営業部長だ」
「静子さんも幹部なの」
「へへ、もちろんわたしも仲間よ、夫唱婦随なのよ」

バロンは思わず笑った。
「そんな三人がわざわざ東京からこんな田舎にいるオレに何の用だい、聞かせてくれよ」
話しは長かった。

 出前の晩飯が来たころには話しが一段落した。
「やっぱり地元の魚はおいしいわ、いいわねえ、こんなところに住んでて」
見ると住むとは大違い、と言おうとバロンは思ったがやめた。

萬治が身を乗り出してバロンに言う。
「どうだ、この話し、乗れよ、儲かるぞ。贋作づくりじゃない、似たものを描くだけだ」
「そっちのほうが大変だぞ」

静子が言った。
「やってよ、大丈夫よ、うちの人が頭(かしら)だし, 金は前金で30%、残りは作品と引き換え、だけどバロンちゃんだから融通はきかせるわよ。それにカンバスも絵具も材料はこっちで支給するし。このまま腐っちゃうの?ダメでしょ、それって」

バロンは思った。
( 失うものは無いし、オレがどんな画を描くか、見せてやりたいし )
美術家に多い自己顕示欲が頭をもたげた。
バロンは宣言した。
「わかった、この話し、乗る。やらせてくれ」

「よしっ、お前はもうオレたちの仲間だからな。裏切るなよ。詳しいことは改めて言うが、警察と国税には気をつけろ。制作中の画は誰であれ絶対に見せるな。アトリエには鍵をかけて親しい画材屋だろうと親だろうと絶対に入れるな。お前のためでもあり、その人たちのためでもある」
と言いながら萬治は笑った。

丹下がカバンから箱を取り出した。
包装を解くと箱から小ぶりな瓶が出てきた。
萬治が美大時代にアルバイト先から時々くすねてきて、寮で夜通しバロンと何度も飲み明かした英国のウイスキーだ。

「覚えてたのかよ、この酒、わざわざ用意してきたのか」
「ああ、お前が万が一断ったとき、気持ちを変えさせる小道具用にな。戻ってこないはずの青春が戻ってきた気分だ。最高の仲間が出来た。飲もうぜ」
「わたしも青春を取り戻したい、飲むわよ」
「ボクも」
と丹下も言い、四人の飲み会が始まった。

 バロンには衝撃だった萬治の依頼のおおよそはこうだ。
アメリカの黒人の現代美術家で半年くらい前に急死したクラケオという男がいた。
地下道アートから頭角を現した男であっという間に米欧の現代美術界の寵児になった。

しかしクラケオはパーティーの夜、自身のペントハウスの柵を超えて落ち、あっという間にこの世を去った。
クラケオは怠け者に加え、描くのにも時間がかかり、市場に出た作品は極めて少なかったため、死の報道が出た瞬間から作品の価格が暴騰した。

一方で死は事故ではなく不審死だと騒がれた。
彼を見い出した画商やプロモーターが作品の価格を吊り上げるために、事故に見せかけて殺したのではという疑惑が今もついて回っている。
この世界に限らず、似たようなことは山ほどある。

萬治はそのクラケオの死亡直後に、ニューヨークの競売会で遺作を間近に見た。
そしてバロンを思い出した。
「クラケオの色使い、描き方、作風、バロンにそっくりじゃないか。バロンがクラケオを真似たのか、クラケオがバロンを真似たのか、素人が見たらわかるまい」
そして萬治はひと儲けを思いついた。

静子とも相談してバロンを仲間に引きずりこみ、クラケオ調の画を描かせ、クラケオの未発表の作品、名が売れる前の作品だとして画商や収集家に高値で売り込もうということになったのだ。

この場合、大事なのは作品の数だ。
需要と供給、美術の世界も経済と同じ原理で動く。
そして下調べをしてマーケットリサーチまで念を入れた。
答えは「GO」だった。

萬治は最初にこれをバロンに説明し、加えて正直に言った。
「だからこれは、お前を利用しての金儲け話しだ、それを先ずは理解してくれ。そして描いたものは詐欺に使う。犯罪ぽいからそのつもりで」

「ぽいでなくて犯罪そのものだろう」
「まあな。ただし仲間になれば何があろうと絶対に見捨てない。そっちから絶縁されるまで徹底的に面倒をみる。信じてくれ」
バロンは萬治と静子のことで相当な犠牲をはらってきた。
こんな田舎にいるのも萬治のことが大なり小なり元にある。

「お前にはずいぶんと世話になった。そのオレが恩返しに持ってきた話しが贋作まがいの依頼だから厚かましいことは確かだけどさ。これは儲かるし儲けてみせるし、お前にも十分儲けさせる。オレを信じてくれ」

「過ぎたことはもういいさ、オレが美大の4年間を過ごせたのも萬治のおかげだし、お互い様よ。オレに会いにきてくれたのが打算であっても嬉しかった。もう決めた。やってやる、やるぞ、クラケオが生き返ったような作品を描いてやる」
静子と丹下は思わず拍手した。

バロンと萬治は息抜きに外に出た。
静子はキッチンで洗い物を、丹下はアトリエで資料を広げながら何かしている。

「静子さんとはずっとか」
「うん、想像を絶するような生き方をしてきたが、いつもそばにいてくれた。拘置所、刑務所にも合わせて5年いたけどオレを見捨てなかった」
「静子さんも大したもんだな」

「ああ、子どももできたんだけどな、オレへの苦労で流産してな、もう子供はあきらめてる。仕方ねえわ。静子はオレの半身よ。オレの背中の菩薩の顔は静子なんよ」
萬治はシャツをめくって見せた。
「菩薩が子ども抱いてるだろ、オレタチの水子だよ」

「うん・・・」
とうなづいたままバロンは言葉も出ない。
「画家は脱線したが、今に思えばどっちが良かったか、わからん。オレの性格なら日本画の世界には合わないし、とっくに潰れていたかもしれんしな」

「背中の静子さんを泣かすわけにはいかんな」
「そうよ、前で泣かれ背中でも泣かれではオレもたまらん」
「仕事は贋作が多いのか」
「いや、これはほんの一部だ。ありとありとあらゆるものが商売になる。今度の件も褒められたもんじゃないが、オレの性(しょう)には合ってる」

静子が顔を出して言った。
「アンタ、じきにタクシーが来るわよ」
萬治は返事をしながら最後にこう言った。
「オレはさ、静子よりひと月永く生きることにしてんだ。あいつの葬式出して墓に入れて、それからオレは静子のそばへいこうと思ってる。あいつのいない人生なんか考えられねえからさ」

三人は帰り支度をすませた。
萬治は百万の束一つを取り出して「とりあえず費用の一部」だと言いながらバロンの前に置いた。
「金は総て手渡しだ。クラケオ用の画材もすでに手配した」
冷たい風の中、静子がタクシーの窓を開けてバロンに手を振っていた。

二日後には萬治から荷が3個届いた。
ほどくとクラケオの資料とカンバスや絵具が入っている。
カンバスも絵具もクラケオ本人が使ったものと同じものらしい。
( こういう情報も手に入るのか )とバロンは思った。

バロンは忙しくなった。
とりあえず何点でもいいから下絵を描いてファックスやネットで送ってパソコンと電話で詰める。
萬治や丹下や他の者が何度も様子を見にくる予定で、その間にはクラケオの作品に詳しい人物も見にくるという。
やっていくと想像を超えた組織のようだと分かり始めた。

 バロンが描く画は、誰が見てもクラケオの作品だと思わせねばならない。
ファンも画商も確かにクラケオの作品だと直感するようなものを描くのだ。
観客を入れればこの先何万何十万何百万という人を騙すのだ。
見方によればゴッホやピカソよりも上をいく画を描かなきゃならない。
詐欺だが、詐欺がどうした、バロンは燃え、人が変わった。

「徹底的にクラケオの作品のように思わせて世界中の画商や金持ちたちを騙してやる。クラケオも絶対に超えてやる。詐欺がどうした、これは騙した奴が勝ちなんだ。オレは喜田村バロンだァー」

こういう一芸にのめり込んでいる者は往々にして罪悪感が欠けている。
たとえ犯罪でも当事者には犯罪ではないのだ。
バロンも萬治の話しを聞いたとき最初の一分だけ「これはアブナイ、どうしょう」と思っただけだ。

だがすぐに思った。
「警察が踏み込んできても構わない、クラケオ以上の作品を描いてやる、世間の野郎どもにオレの実力を見せてやる」

冬の夜風が窓をたたく。
バロンは今日の朝までは山陰の冬に気が滅入っていた。
しかし深夜になったら違っていた。
「冬の日本海も山陰も、これはこれでいけるな」

頑張ればじきにかなりの金が入る、とにかく仕事ができる、となって山陰の否定観が肯定観に変わったらしい。
移住者が定住者になりそうな雰囲気だ。

二ヵ月足らずで最初の作品四枚が仕上がった。
猛烈なスピードなのは金と自信の裏付けがあるからだ。
今度は萬治たち三人の他に二人がついてきた。
同時にホテルに泊まっていたバン型の小型トラックもやってきた。

萬治も静子も丹下も作品を間近に見た途端、しばらく黙った。
バロンはあわてた。
「気に入らんか、ダメか、おい」
萬治は満面の笑顔で答えた。
「嬉しい、オレの目は確かだった。どうだ丹下、おどろいたか。スゴイだろバロンは、サインもまるっきりクラケオ本人じゃないか」

丹下も言った。
「これ、間違いなく売れます。いや最高の値段で売ってみせます」
静子は万歳しながらアトリエの中を走り回った。

ついてきた二人も言った。
「彼の贋作は何枚か見たけど、これは本人の作と言っても誰も疑わないでしょう。こりやスゴイや、すぐ梱包しますか」
「うん、すぐやってくれ」

とりあえず四点の梱包が始まり、制作中はもう五点ある。
「バロン、残りも急いでくれ。別にもう二十枚約束する。多くても金に換える手立てはいくらでもある。
こういう物にも売り時、旬があってな、売れるときには押せ押せなんよ。それと、こっちへ来てくれ」

キッチンで萬治はカバンの中から何センチかあるのか分厚い封筒を取り出し、バロンに手渡した。
「約束の金だ。追加ぶんの前金は来週に丹下に持たせる。いきなり贅沢なものは買うなよ。何度も言うが警察と国税それに駐在の警官には特に注意しろ」

その日の夕方、一人になったバロンはあの岩壁に行った。
「山陰の海もそれなりにええ、もう少し住んでみるか」
バロンは山陰の冬も雪でさえも美しく思えてきているようだ。
あるべきものがあると、雪もダイヤに見えるらしい。

それから一年が過ぎた。
少し一段落したがクラケオの作品づくりは続いている。
もう何枚描いたか覚えていない。
それにしても、よくさばけるものだとバロンは思っている。

夜明け前に萬治から電話があった。
「おう、すまんな暗いうちから。相手に時差があるもんでな」
声が笑っている。
「これから描くクラケオの半分はお前の適当なサインにしてくれ、何枚描いてもいいぞ」

「クラケオの画でなく、オレの適当なサインの入ったオレの画か」
「そうだ」
「なんで」
「実はな今まで描いた作品でな、贋作ではと疑ったのが二人いる。大金持ちのイタリア人とそのお気に入りの画商だ。本当ならここで少々面倒になるんだがな、おどろくなよ」

「なんだよ、じらすなよ」
「向こうがさ『誰が描いたのか、その本人の画が欲しい、売れる』と言い出したんだ」
バロンにはすぐに理解ができない。

「つまりさ、クラケオのでなくて、この贋作というか似せた画を描いた人物の画が欲しいてことさ」
「つまりはオレの描いた画か」
「そうよ、オレもおどろいたよ。うちはお前の画の元卸屋になるわけさ。ただ彼らが警察に関係が無いとは断言できん。なので当面は様子を見ながら小出しにしていく。だから当面はサインも適当に描いてくれ、これは念のためにだ。オイッ聞いてるか、バロンよ」

「ああ、聞いて・・ いる」
「大丈夫か、描いたお前の正体はしばらく伏せておく約束だ。頑張ってくれよセンセ―」
そばから笑う静子の声が入った。
「がんばってよ、バロンちゃん、いやセンセ―、やったわねセンセ―」

 「明後日また三人で行くからな~」
萬治が電話を切った。
バロンは電話を置いた。
思いもしなかった事態になった。

「 似たモノ描きが本物の画家に、ホンマか、どうしよう、どうしたらいい、似せた画も描いてるし」
もう一人のバロンが顔を出した。
「人生一度だ、やるならとことんやれ、中途半端は結局総てを失うぞ」

「そういえば」、
バロンは美大のころを思い出していた。
「オレも静子さんが好きだったもんな。やってやる。イタリア人をおどろかしてやる」

アトリエに朝陽が差し始めていた。


















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