自己開示が苦手

わたしはこんな生い立ちですとか、
こういう悲しい思いをしてきましたとか、
こんな仕事をしてきましたとか、

全部苦手なんです。
自分で言うのも聞くのも。

生い立ちは悲劇のストーリーになりがちだし、職歴は美化されがちだし、
そんなもの語ってどうするのと思ってて
なのでほとんど喋りません。

するとどう言うコミュニケーションになるかと言うと、自分が自己開示しないので、
相手も話をしない。
バックグラウンドもわからないままなので、
とても表面的な会話に留まってしまう。
勝手に喋ってくれる人はいいけど。

今日は天気が良いですねとか、
ご飯何食べましたか?とか。その程度。

要するに、一歩踏み込んだコミュニケーションが取りづらい事に気付く。

相手のことを理解できないから、
何回会おうとも深くなり得ない。
自分のことを話をしないので
相互に深まっていかない。
コミュニケーションは相手の背景も込みで
取っているのかと気付く。

ではどうすればいいのか。

自己開示をするしかない。
深い関係性になりたいのであれば
自分語りをするしかない。
ところがそれが苦手なのだ。

なぜ苦手なのか。
冒頭に書いたように、苦労話やいい話、自慢話にしがちだから。
でもその辛かったり悲しかったことが
その人を作っていく物でもあり、
その人のアイデンティティになっていく。

自分のことを知ってもらいたいと
沸々とわいてくるこの承認欲求。
コミュニケーションを取りたい。と言うよりも
結局は自分を知ってもらいたいということ。
でもそれは一方的なので嫌いなのだという堂々めぐり。

欲求を隠しているのは本当だ。
批判を恐れている。

自慢話かよ、悲劇のヒロインかよ、
大変だな…羨ましい…
色んな妬み嫉みを思われなくないからだ。

さて。それを乗り越えて、
どう思われてもいいから
開示すると決めたら、
どんな展開になっていくのだろうか。

何と言ってもコミュニケーションは、
聞いてくれる人がいてこそ。
そこを忘れてはいけない。

相手が聞く体制なのに
話をしないのは勿体無いのでは…
そんなふうに思う。

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