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寛容の精神

 寛容の精神は、以前から社会を平和に保つための美徳として存在してきました。しかし、現在、喧伝されている寛容の精神は、歴史的に認識されてきた寛容、つまり、「自分と異なる考え方や行為に対して、それは間違っていると発言することは許される。これは思想の自由、言葉の自由に関わる問題である。その上で、意見を異にする者同士が、相手の生存権を認め合うのが歴史的寛容の精神である。」とは大きく異なります。 
 
 現在横行している風潮では、自分と意見が異なる考え方や行為に反論すること自体が、「hate crime」(憎悪犯罪)に当たるとされます。
反憎悪犯罪法が法制化されると、どういうことになるのでしょうか?それは、思想の自由や言論の自由を束縛する悪法となります。そうなると、食卓で自由に意見交換さえできない状況が訪れます。その結果誕生するのが、監視国家、全体主義国家、共産主義国家です。

 一連の動きの背後で悪魔が暗躍し、基本的人権を否定しようとしているのは明かです。
 
 IIRF(International Institute of Religious Freedom)という団体(世界各国の宗教の自由度を調査する団体)が、2022年に実施した調査の結果を発表しています。
 これは、フランス、ドイツ、コロンビア、メキシコを対象としたもので、調査結果は30ページ以上に及びます。概要は次のとおりです:
1.    世俗世界は、キリスト教に対してますます非寛容になってきている。
2.    クリスチャンは、日常的に有形無形の圧力を感じている。
3.    その結果、霊的な「自主規制」を行い、信仰の証しをしなくなっている。
4.    この「自主規制」は、無意識のうちに行われることもある。
 
 時代は、「多様性」を叫びつつ、聖書的世界観を許さない「非寛容」をその特徴としています。これは大きな矛盾ですが、悪魔が支配するこの世の価値観とは、そういうものなのです。神を自分の人生から締め出そうとする人は、ますます増えることでしょう。
 

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