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(掌編小説)くろねこ春子の日常#006生きろ!少年

満月の夜に黒猫に変身する女の物語

中学2年生の少年に、小春の心は届くのか?


 私はベッドに寝転びながらスマホで動画を観ていた。好きなバンド、シンセピッチャーの動画を観ていると、関連動画で出てきた新人バンド『9月のノクターン』
「ああ、シンセと同じ事務所だったのか。売り出し中だねえ。推されてるねえ」
 もう起きなきゃ。今朝は小児病棟の応援の日だ。小児病棟の子供たちはかわいい。かわいいけど、かわいそうだ。こんな言い方していいのか分からないけど、かわいそうでつらくなる。私はベッドから勢いよく飛び起きて洗面所へ。今朝も暑いなあ。バシャバシャと顔を洗いタオルで拭くと、鏡の中の自分の顔をまじまじと見た。35歳。高校生の頃の自分が見たら何て言うのだろう?私は手際よくメイクをして、もう一度鏡を見る。
「行くぞ、おー!」
 いつものルーティン。おまじない。戦いの儀式。今日も負けないよ!

「ガシャーン!」
 個室の病室で大きな音が鳴った。恵介くんの部屋だ。私は慌てて部屋の中に入ると、お昼ご飯が床の上に散乱していた。ベッドに目をやると、恵介くんは猫のように丸くなって震えていた。
「おーい。どうしたあ?」
 私はわざと間の抜けたような声で尋ねた。恵介くんは何も答えなかった。丸くなったまま、顔を布団にうずめたまま。
「中学2年生かあ。病気じゃなくたってご飯ぶちまけたくなるわな」
 私がそう言うと恵介くんの体の震えが一瞬止まったように見えたけど、相変わらず何も答えない。
「1回だけサービスで片付けるけど、もうしないでよ」
 私は床のご飯を片付けながらそう言った。彼は脳腫瘍でオペを検討中。悪性。

 夕方、恵介くんの担当看護師の新木ちゃんとバトンタッチ。
「当たり前ですよね。怖がってるんですよ病気のこと。ほら、今スマホで何でも調べられるから」
 20代の新木ちゃんは化粧っ気の無い顔で私を見た。私は一瞬目を反らした後、事務的な申し送りだけして病院を出た。

 次の日、恵介くんの病室に検温に行くと私は思わず声を上げた。
「ダメ!」
 恵介くんはピンク色のカッターナイフで手首を切りつけようとしていた。私はカッターを取り上げた。幸いまだどこも切れてはいなかった。他にリスカ跡も無いし、今日が初めて?
「ちょっと!どういうことか話を聞こうかねえ」
 私がそう言っても、そのくしゃくしゃの顔からは返事が無い。耳元を見るとワイヤレスイヤホン。
「ちょっと貸してよ」
 私は恵介くんの左耳からイヤホンをひとつ引っこ抜いた。
「返してよ」
 恵介くんの問いかけに笑顔でかわいく答えた私は、そのイヤホンを自分の左耳に入れた。お!これ、あのバンドじゃん。
「9月のノクターン!」
 私は恵介くんにそう言って、イヤホンを返した。
「知ってるの?」
 恵介くんのくしゃくしゃな顔が、一瞬シャンとなって私を見た。
「知ってるよ。私はシンセのファンなんだけど、あそこの事務所の若いバンドだよね。今超売り出し中の」
「うん」
「ベースラインかっこいいし、歌詞も良いよね。『夕空のフィクション』って曲好きだよ!

君の孤独に忍び込んで
聴かせてやるよ僕のギター

ってね」
「うん!僕も好き!ライブ行きたいなあ!」
 恵介くんはキラキラした目でそう言った。
「病気が良くなったら行けるよ!がんばろ!」
 私はそう言ったけど、彼は「うん」とは言ってくれなかった。さすがに調子良すぎたかな、私。
「それでね他にもさ…」
 ここからオタク話がしばらく続く…。

 私はバカな話をしながらも、恵介くんの表情をずっと見ていた。笑っていてもやはり不安気だ。そして彼はこう言った。
「死んだら、今それを考えてる自分が消えて無くなるのかと思うと、怖くなる」
 私は恵介くんの目を見てうなずいた。だけど私はうまく言葉が返せなかった。無力だ。
「ひとつ知りたいことがあるんだけど。僕と同じ9月のノクターンのファンで、仲の良かった子が転校しちゃったんだけど、その子元気にしてるかなあって。あゆちゃんって女の子。リスカ癖があってちょっとメンタル弱い子でね。アカウントも消えちゃってて…生きてるといいんだけど」
 私は窓の外を見つめている恵介くんの横顔を見つめながら聞いた。
「どこに転校しちゃったのかねえ?」
「となりの町のA中学校」
「あら。そこなら私、知り合いの先生がいるから聞いてあげようか?」
「え!本当!?お願い!!」
 彼の顔がパッと明るくなった。私は嘘をついた。知り合いの先生なんかいない。つい嘘をついた。恵介くんはうれしそうに、私にあゆちゃんの画像を見せてくれた。かわいい子だ。好きなんだろうな。
「先生も忙しいと思うからすぐには聞けないけど、今月中には何とか聞くよ」
 私は嘘に嘘を重ねて病室を出た。悪い癖だ。どうしよう?

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