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(掌編小説)続・バイクに乗って猫を拾った

バイクで転んで猫に助けられて入院中。現状を説明すれば、なんとも冴えない。でも、もう松葉杖で歩けるようになったから退院が近いようだ。
4人部屋は僕ひとりだけ。白い部屋の窓の外からこぼれる午後の日差しは、僕には眩しすぎる。昨日両親が田舎から見舞いに来てくれて、初めて親のありがたみが分かった。恥ずかしいけれど、32年間生きてきて初めてのことだった。
明るい日差しが陰って夕暮れに包まれる。僕はカーテンを開け放ち、暮れゆく街並みを見下ろしていた。ふと思い立ちベッドに戻りスマホを見る。そう、確かに昨日ユイちゃんとLINEでやりとりしていた。ブロックされていると思っていたから、本当にうれしかった。そして、バイクで転倒してこの病院に入院していることを告げた。さみしくて、つい。ユイちゃんは今日会社の帰りに見舞いに来てくれると言ってくれた。だけど僕は助けてくれた猫のことは言えなかった。猫を捨てに行ったなんて、とても言えなかった。


「サトル君」
「ユイちゃん…久しぶり」
面会に来てくれたユイちゃんは、焼き菓子の入った紙袋とバイクの雑誌をくれた。そして、笑顔をくれた。
「夏が近づいてきたでしょ。そしたらサトル君のことを思い出した」
僕はユイちゃんの目を真っ直ぐに見た。ユイちゃんはいたづらっぽく笑って続けた。
「うそ」
「え?」
「ふふ…」
「ごめん。僕はいいかげんだったよね」
僕はユイちゃんにちゃんと頭を下げた。そのお陰で、その日の夜は楽しい気分で眠れた。本当にありがとう。ユイちゃん。

退院した僕は自分のマンションに引きこもりながら、フリーランスとして細々とwebデザインの案件をこなしていた。大学時代の友人でIT社長をしているKに不義理を詫びるメールをして、また大きな案件をもらえるように頼んだ。とても図々しい気もしたが、なりふりなんて構っていられなかった。転倒したバイクは幸いにも車両保険に入っていたので、思い切って新車を買った。本当にそれだけは良かった。
そんなある日の夜7時、ユイちゃんから突然の電話。珍しくLINEではなくて音声通話だ。何だろ?ドキドキする。
「もしもし」
「サトル君!会社の帰りなんだけど、なんか変な男の人に付けられてるの。どうしよ?」
電話口のユイちゃんの声は震えていた。
「え!…とにかくこのまま電話していて。うーん、どうしよ。にぎやかな所に、自宅には向かわないで駅に行って。駅の交番、お巡りさん居るかなあ?まあいいや!とにかく駅に向かって!僕、今から行くから」
僕は作業中のパソコンもほったらかしにしてマンションを飛び出すと、ヘルメットをかぶってバイクのエンジンをかけた。あたりは暗くなっていて、単気筒のエンジン音をまき散らしながら彼女の駅に向かった。
コンビニやカラオケボックス、大きな公園の街灯、渋滞でつながっている車。すべてを置き去りにして突っ走った。なんだろ、この陶酔感。まるで無敵の人のようだ。

10分もしないうちに彼女の駅に着いた。小さな駅のロータリーの街灯の下、少し明るい髪をひとつに束ねて、白いブラウスにベージュのパンツ。小さな彼女はひとりで立っていた。僕はすぐにバイクを停めると叫んだ。
「ユイちゃん大丈夫?」
「うん!男の人どこかに行った!」
「そう!とりあえず乗って!」
「え、でもヘルメットないじゃん」
「いいから!捕まるのは僕だから大丈夫!」
「えー。やばくない?」
ユイちゃんはなんだか楽しそうに笑いながら僕のバイクの後ろに乗った。ユイちゃんの様子は落ち着いていたし、心配は無さそう。僕もちょっと恥ずかしくなった。僕は彼女を乗せて、暗い夜の街の中、とりあえず自分のマンションに向かった。僕の背中はフワフワで温かくて、なんだか猫を、ラキを捨てに行ったことを思い出して少し怖かった。

「コーヒー淹れるよ」
僕のマンションに着くと彼女も安心したようで、ぺらぺらと話し始めた。
「ストーカーだよ。あの人。前も私のマンションの近くで見てたもん。今日は近づいて来て話しかけられたから怖くて」
僕はマグカップをふたつテーブルの上に置いて腰かけた。
「そうだったんだ。何にもなくて良かったよ。今度何かあったら警察呼んだ方がいいかもね」
僕がそう言うと、彼女はゴトッとマグカップを置いた。
「怖いからしばらくここに置いてよ」
「え?」
「嫌?」
「そんなことないよ。でも狭いし」
「なんとかなるよ。あれ?そういえば猫が居たんじゃなかった?」
僕はコーヒーをこぼした。そして急に怖くなって、すがるように彼女の目を見た。彼女の目は何でも良いから話せと言ってるようで、僕はテーブルのコーヒーをティッシュで拭きながら話し始めた。

「事故に遭った日、本当にダメダメなんだけど…猫を捨てに行ったんだ。山で拾った、同じ場所に。その途中で事故に遭って。でもその猫が人に知らせてくれて、僕は助かった。最悪だ。その猫を拾ったおかげで君にも会えたと思っているし、良いこともたくさんあったのに。マンションから追い出されそうになって、あせって…」
僕は情けなくも彼女の前で涙を流した。彼女はしばらく何も言わなかった。それを良いことに、僕はおいおい泣いたんだ。

彼女は急に僕の頭をはたいた。
「明日休みじゃん。サトル君が転んだ場所に行こうよ。いつまでもそうしているわけにはいかないでしょ」
僕は驚いたけれど、確かにいつまでもこうしてはいられないんだよな、と思った。

翌日。さわやかな良い天気。僕は残っていたキャットフードをジャケットのお腹にしまって、後ろにユイちゃんを乗せるとバイクを走らせた。そしてあの日と同じように街を抜けて山に向かった。

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