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フェアリーアンクルの鈴村さん【2】

君の名は

会社から帰宅して冷蔵庫を開けたらそこにいた。小さいおじさんが。冷蔵庫の一番下の段、仰向けに寝転がって、もう食べられないという吹き出しがよく似合う姿で。

ちょっとやそっとではもう大声を上げないお年頃のわたしだが、それでもどうやって入ったんだという常識的な疑問と、寒くないのかという全くもってどうでもいい疑問が頭に浮かんだ。

いや、そもそも小さいおじさんにそんな疑問は愚問なのかもしれない。前回もいきなり現れていきなり消えたわけだし。自由気ままにお気に召すまま、それがきっと小さいおじさんというもの。

とりあえず、つまみだすのが先か。それとも出てきてくれるように誘い出すべきか。考えることさえ面倒で途方に暮れようとした5秒前、そこに入れておいたバターサンドの数が少なくなっていることに気がついた。

「あーーーっ!!」

バターサンドの入っていた缶を取り出し、数える。1枚、2枚……やっぱり足りない。しかも足りないのは1枚どころじゃない。昨日の夜、冷蔵庫に入れた時は抹茶とストロベリーとキャラメルの3種類の味をそれぞれ2個ずつ残してあったはずなのに、今は3個しかないんですけど。

数の減ったバターサンド、そこに満足そうに横たわる小さいおじさん。

「犯人はおまえかっ!」

わたしの大声に目を覚ましたおじさんは全く動じる様子もなく、また起き上がるわけでもなくそこに肘をつき、まるでテレビの前が特等席と言わんばかりの休日のお父さんのように軽く手を上げた。

『よう、帰ったか』

「…じゃないですよ。何、人のものを勝手に食べてるんですか」

『何を言っとる。それ、今日までに食べんといかんのだろうて。一人でこんなに食べられんと嘆いとったろうが』

「……確かに、賞味期限今日までなんですけど」

このバターサンドは誕生日プレゼントとしてもらったものだった。この歳になってまさか誕生日プレゼントをもらえるとは思わなかったので、とにかく嬉しかった(しかも会社の人から)。

しかし、一人暮らしに9個入りのバターサンドはいささか多かった。プレゼントをした本人も賞味期限がかなり短いことを申し訳なさそうにしていたけれど、わたしは一日最低3個のバターサンドを食べようと心に決めた。だって賞味期限っておいしく食べるための期限でしょうが。期限内に食べないとバターサンドに失礼でしょうが。

んが、これがなかなか予想以上にキツイ……いや、おいしいんだけどもが正直キツイ。バターってところが日本人にはキツイ。そして早くも昨日、挫折してしまった。

だってしょうがないじゃないか。せっかくもらったバターサンドを苦しみながら食べたなんて思い出にするわけにはいかないんだから。この先の人生でバターサンドを見るたびに、よもや誕生日のたびに思い出して苦しみ身悶えるだなんてそんなこと。

『だからワシが食べてやったんだ』

と、小さいおじさんは得意そうに言って笑った。

あ、すごい複雑。小さいおじさんの笑った顔が悪代官みたいに見えることも、罪悪感を抱かずにすんだどころかフードロスをも防ぐことができたことも。全部ひっくるめてすっごい複雑。

そんな風に言葉をつかめず、黙ってしまったわたしに小さいおじさんが言った。

『残りは半分こだ。そう思って、とっといてやったぞ』

………うん、やっぱりどうしたって複雑だわ。何故に上から目線。小さいくせに。そもそも、わたしがもらったバターサンドなんですけど。

「先にご飯食べてからでいいですか」

『好きにしたらいい』

「あと、そこから出てもらっていいですか。冷蔵庫のドア開けたままって電気代、気になるんで」

『しょうがないな』

小さいおじさんはぴょん、と冷蔵庫から飛び出すと、テーブルに向かって駆け出した。その後ろ姿を見つめるわたし。

ああ、わたしはどうあっても複雑な気持ちにならざるを得ない。抗えない。

わたしは部屋着に着替えてテーブルの前に座った。小さいおじさんはテーブルの上でごろ寝をしている。そして、わたしが点けたテレビを見ている。やっぱり小さいけど、おじさんはおじさんだ。

帰り道に買ってきたビビンバ丼を袋の中から出す。小さいおじさんはお腹がいっぱいなのか甘い物以外には興味がないのか、ビビンバ丼には見向きもしない。

「おじさん、今日は一日何してたんですか?」

『ん?何でだ?』

「まさか一日中バターサンド食べてたとか?」

『どうだろうなぁ。どうだったかなぁ』

すごい他愛のないどうしようもない会話だ。何の生産性もない、何の意味も生み出さない会話。するだけ無駄なんじゃないかとも思える。だけど、テレビを見ながらついこぼしてしまうひとりごととは違う。いつも一人で過ごしている部屋で生まれる笑い声とは。

こんな、すごくどうでもいいことを話しているだけなのに心が整っていく気がする。そうか。わたしは今、何も考えてないんだ。小さいおじさんに何を求めているわけでもないから、こんなに楽なんだ。

ビビンバ丼を食べ終えて、口の中をリセットするために冷たいお茶を流し込んだ。次はいよいよバターサンド。さて、何を飲もうかな。

テレビにも飽きてきたのでiPadをテーブルの上に持ってきた。何かアニメでも観よう。古いのがいいかな。新しいのがいいかな。指を動かしながら、どれにしようかなと口ずさむ。

お皿の上に残りのバターサンドを並べると小さいおじさんが起き上がった。悩む素振りもなく、目の前のバターサンドのクッキー生地にかぶりつく。わたしはストロベリー味を食べたかったので、おじさんに食べられないうちに確保した。

「そういえば、小さいおじさんって世の中にどれくらいいるんだろう」

いつだったか、こびと図鑑なんてものが流行った気がする。身の周りにハマった人がいなかったから詳しくは知らないけど、一人一人に名前があって細かい性格とか設定があったような。あれと小さいおじさんはやはりジャンルが違うのだろうか。

「小さいおじさんが一人でも見えたら、他の小さいおじさんも見えるのかな…」

とりあえず、わたしが見たことのある小さいおじさんはいつもこの小さいおじさんだ。と言ってもまだ2回目だけど。なのに、もう驚いたりしない。習うより慣れよ、とはよくいったものだ(ちょっと違う)。

小さいおじさんは1個目のバターサンドを早くも食べ終えていた。相変わらず、その小さい体のどこに入るんだろうと不思議。小さいおじさんはわたしの方を見上げた。

『早く食べんか。残りは半分こだぞ』

まだ食べ終わっていないわたしに指図する小さいおじさん。だから、わたしがもらったバターサンドなんですけど、とため息がこぼれる。

「食べていいですよ。わたしはこのひとつを食べるのが精一杯なんで」

その言葉を待っていたらしい小さいおじさんはニヤリと笑った。だから、どうしてもっと可愛い笑顔が作れないんだろう。それとも、やっぱり小さくてもおじさんはおじさんだからそこはしょうがないのか。

「でも、笑うと可愛いおじさんもいると思うんだけどな…」

小さいおじさんは今度はクッキー生地ではなく、間のクリームから食べ始めた。洞窟に匍匐前進で挑むような姿はまるで探検隊。いや、モグラ?少なくとも妖精とは呼べない。

それにしてもこの小さいおじさんはこの先、何回、わたしの前に現れるつもりなんだろう。

「おじさんって名前あるんですか?」

『ん?』

「だから、名前。おじさんの名前」

『そんなものはない』

「ないの?」

『そんなものは単なる概念にすぎん。あんたがワシを他のものと区別するために必要じゃあ言うんなら、あんたの好きに呼べばいい』

そういうものなのか。

わたしはようやくバターサンドを食べ終えた。カフェインレスのカフェオレを飲みながら、小さいおじさんを見つめる。小さいおじさんはもうすぐバタークリームの洞窟の出口に到達しようとしていた。これ、結果として小さいおじさんサンドができるんじゃないのか?

「名前かぁ…」

とは言うものの、どうしても必要かと言われればそうではないような気がした。小さいおじさんは小さいおじさんだ。名前なんてつけてそのうち愛着なんてわいたらどうする。

……………うん、複雑でしかないわ。考えるの、やめよう。


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