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母とわたし~着物~

わたしが着物を習いはじめたと知った時、母はどんな気持ちだったのだろう。亡くなった母の着物をひとつひとつ広げながら、わたしは途方に暮れた。


わたしたちの母親の時代は嫁入り道具として着物をいくつか持たされたと聞いたことがある。だけど、それは裕福な家庭の話だと思っていた。どこか遠くの都会の、幸せな家族の話だと決めつけていた。

だから、嫁入り道具として母が持ってきたタンスから着物がたくさん出てきた時、後悔しかなかった。

「お母さんが着てた着物、あげようか?」

わたしが着物を習いはじめた時、母が言った。今思い出すとその声は弾んでいた。それともただの願望か。だけど、わたしに何かしてあげられることがあるということを、母は喜んでいたように思う。それなのに。

「いらない」

わたしは考える間もなく、そう答えた。母が着物を着ている姿なんて見たことなかったし、持っていたとしてもどうせ古くてダサイ着物だろうと決めつけていた。だけど、そうじゃなかった。

訪問着も羽織りも雨コートも、ひと通りの着物が揃っていた。嫁入りする娘に恥をかかせないようにと母の両親が持たせてくれていた。それをただ、着る間もなく働いていたというだけで。わたしたちを育てることに一生懸命だったというだけで。

それをわたしは、なんというひどい言葉で傷つけてしまったのか。

わたしが着物を習いはじめたきっかけは仕事だった。結婚式のリハーサル後、新婦のお母様が着物が苦しいと言った時、ひとりのスタッフが控室でササっと着付けをし直すのを見た。

その人の仕事は着付け師でも美容師でもなかった。でも、資格は持っているという。結婚式の本番が始まるまで30分もない、そんな中で10分もかからず仕上げたその姿はとてもかっこよかった。自分もできるようになりたい、わたしの考えることはいつも単純だ。だけど、現実はわたしのように単純ではない。

着物がなくても教室の着物が無料で借りられる、仕事帰りに手ぶらで通えると聞いて始めた着付け教室も、結局は着物を買った。職人さんを集めて開かれる即売会、着物で出かけようというイベントの数々、初級から上級へコースが上がると必要とされる着物や帯の種類はどんどん増えていく。

一緒に教室に通う人たちは母や祖母の着物があるので買わなくてもいい、という。「お金がないから買おうとしていたら止めてね」といいながら、結局買うと決める人がいる。わたしは母や祖母から譲ってもらえる着物も新しい着物を買うお金もない。

元々、着物は好きだった。子どものころから時代劇を見て育ったし、お姫様も町娘も憧れた。七五三やお正月という着物を着るせっかくの機会に着させてもらえなかったという悔しさもあった。きっかけは仕事だったけど大人になって自由に着物を着られることは嬉しかった。……だけど。

「人に着物を着せてあげられるようになりたい」

わたしの単純な目標はなんと遠いところにあるのか。たどり着く前に、このままでは着物を嫌いになってしまう。わたしは着付け教室をやめた。

そして母が亡くなり、母の着物を見つけた。タンスにはわたしたちが子どものころ、着せてもらった着物もあった。母が仕立ててくれたものだと思い出す。どうして忘れていたんだろう

着付けを習っていると人に話すと、「お金に余裕があるんだね」とか「着物なんて着る機会なくない?」とよく言われた。母も着付け教室に通い始めた時期に、「そんなことに意味があるのか?」とお義母さんに散々反対されたと言っていた。そうだ、どうして忘れていたんだろう

母の着物をひとつひとつ広げながら、わたしは途方に暮れた。付け焼き刃の知識ではいつ、どんな場所にふさわしい着物なのかわからない。着物の素材や、どういった時期に着るのかもわからない。どういう気持ちで選んだとか、袖を通したことがあるのかとか……。何もわからない。

「お母さんが着てた着物、あげようか?」

あの時、もっとちゃんと話せばよかった。教えてもらえばよかった。

親から着物を譲ってもらうと話す周りの人たちをうらやましいと思っていた。自分にはそんな親はいないと決めつけていた。だけど、そうじゃなかった。そのことを今、ようやく知った。もういないのに。母はもういないのに。

わたしが着物を着ることを知らない父が言った。

「こんなに着物があっただなぁ。どうせ着もせんのに。お前も着んだで捨てるか?」

捨てる?そんなことさせない。わたしが着る。人に着物を着せてあげられるようにはなれなかったけど、わたしは着れる。シミもあるし小柄な母とわたしでは裾も裄も足りないかもしれないけど着られるものがあるのなら、わたしが着る。そうして仕立て直した母の訪問着で結婚式に参列した。

同じテーブルのメンバーは全員、着物で行くから依音さんも着物で来るようにと言われた。まだ母の着物を知らなかったわたしは慌てて着物のレンタルを探した。その後、母の着物を見つけたわたしは急いで仕立て直したものの結婚式には間に合いそうにないと思っていた。その矢先、コロナで結婚式の延期が決まった。まるで母の訪問着が仕上がるのを待ってくれているようだった。

わかってる。都合の良い考え方だということは。それでも、母の着物を着る機会を与えてくれたことには違いない。

2022年9月28日(水)、花嫁衣裳を見せてあげることはできなかったけど、母の着物を着て出かけるわたしの姿があった。できれば生きている間に見せてあげたかったけど、そんな後悔も今日でやめよう。母が遺してくれたものは確かにここにあるのだから。

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