はだかの太陽(アイザック・アシモフ、冬川亘) (1)

こちらもしばらくの間中途で置いてあった本。今日から再び読み始めた。異星人の振る舞いがどうにも馴染めず、読もうとしてもいつか本を置いてしまうという状態が続き、日常が多忙化したのもあいまって、積読本と化していたのだ。ダニールがロボットであるという感じがあまりしない。前作の鋼鉄都市の方がよりロボット感が強かった。あくまでわたしの主観ですが。この作品についても、批評とかではなく雑感を述べていこうと思う。
さて、あくまで雑感なのだが、自我が強いなと感じたということ。主人公のベイリはとても自我が強い。昨日読み終わった燃える傾斜の主人公のシロタと比べて、ベイリは非常に自我が強い。シロタは日本人的であるように思う。いままで数十年日本国内で生きてきて、日本人の自我の緩さは一般的なことだと思われる。自我の概念が日本に導入されて百五十年くらいしか経ってないが、いまだに日本人の自我は緩いままだ。やはり一神教が文化の基底部にないことが原因であろうかと思う。で、別に日本人はそのままでもいいのだけれど。日本人でクリスチャンならば自我が強くなるのかといえば、やはり生育期には他の多神教的な日本人に囲まれて暮らすので、西欧人ほどには自我が強くならないと思われる。自我の強さとはなんぞやと定義することはしない。あくまで雑感ですし、印象レベルの話です。日本人が主人公だと、ベイリみたいにはならないし、無理にベイリみたいな主人公にしても、全然日本人っぽくないってことになると思う。日本人が主人公なら、ベイリみたいな頑張り方はしないと思う。シロタみたいな頑張り方をすると思う。それでは、このへんで。

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