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4.不安の分析その2

前回の記事では義務感と現実とのギャップで不安が生まれていると書いたけど、これはもう一個の話。

それは、今まで日本で過ごして習得してきた思考の枠と、デンマークで教えられている思考の枠が全然違うこと!!

思考の枠って何?って感じなのだが、例えば、

ディベートを思い浮かべてほしい。自分には、日本で20年来培ってきた「価値観」がある。だから、日本ではある程度気楽な状態でも意見が言えて、ある程度共感が得られるような状態だった。だって、みんな違うとはいえど、ある程度同じバックグラウンドを持って、同じ文化で育ってきてるから。

しかし、デンマークに場所を移すと、同じ議題について話そうと思っても、そもそもの思考の方法が違う。何気なく発した一言が、「日本らしい考え方だね~」と一蹴されてしまいそうで怖い。今まで自分が持ち得てきた視野、世界観をはるかに凌駕したメソッドで話されてしまう、それを受け止めるのに必死で、実際それを理解できているかもわからない。新しすぎるのだ。

どんなディベートをするにしても、小さな自分の世界観じゃ写しきれない広ーい目で見ていかないと、そもそも意見というものを言語化できないことに気づく。

自分の安心していた価値観というものがどんどん崩れていって、どのように思考していったらいいかが根本から分からなくなってしまうのだ。


こうして「思考とは何ぞや」について学びを深めていくと、

今までずいぶんと軽いノリでお話してたのかな~、ということに気づく。

こっちでは、発する言葉一つ一つに対して

「なんでそう思ったん?」とか、「それどういう意味?(あなたの中での定義は?)」と突き詰められてしまうため、いちいち言葉選びに慎重になる。

実際、授業中にも 雑談中にも

「それは何?どういうこと?なんで?」という類の質問が飛び交う。(これを受けるとかなり緊張する笑 そんなん答え用意してないわ!というところから必死に思い出すから。)

こうやって、自然と思いついた言葉であっても、その意味や背景を紐解いていくと新たな気づきにつながることが多々ある。


何もかも違うからこそ、初めて気づく、自分なりの「当たり前」の定義。


「自分こう思ってたんだ…」を対話の中で見つけ出すのは、大変でもあるけど、同時に楽しみでもあるなぁ。これは自分を知るための訓練。

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