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開かれたおばあちゃん

今日はうちの祖母を紹介させてほしい。

うちの祖母は若い頃、司法関係の仕事をしていた。親のいない触法少年に付き添い、お話を聞くような仕事をしていたそうだ。

祖母は、現在80代。僕のイメージしていた80代は、歩くのすら億劫で、新しい価値観の数々に嫌悪感を示すような存在だった。

しかし、そんなものは実像とまるで関係ないイメージなのだ。

大学生時代の自分は殆ど実家に帰らず、祖母と話す機会は極めて少なかった。しかし、社会人になって、実家の東京に帰ってきて、祖母と話す機会が増えてきた。

そして今日、祖母と2人で外出してきた。

「社会人になって、何か買ってあげたいのよ。腕時計のマシなやつ買ってあげるわ」と、僕を連れ出してくれた。

そして百貨店へ行き、自分では絶対しないような高額な買い物を経験した。いや、お金を出しでくれたのは祖母なのだけれども。

僕は普段百貨店に行かない。本屋か居酒屋しか娯楽を知らない人間が、僕だ。

「あんた、なんか趣味ないの。仕事とか勉強以外で、リフレッシュできるものはないの。」

すぐに答えられなかった僕に、祖母は笑って「しょうがないねぇ」と言っていた。

「こうゆうものには興味ないの?」

祖母は百貨店の色々な店を指さす。見たことのないものばかりだ。異国の伝統的な布、値段の張りそうな茶碗に急須、若者はまず着ないような洋服。

「あんた、あんまり見栄えとかに関心がないものね。何でもいいって、すぐに言ってしまうじゃない?」

腕時計。僕はどれも同じに見えた。ブランド品というものに、まるで興味がわかずに生きてきた。だが、祖母は熱心に腕時計の違いを見ている。

腕時計を買って、帰りに高めの中華へ連れて行ってもらった。

「あんた、今はちゃんとしているけれど、昔は左手を机に出さず、犬食いしてたわねぇ。」

笑って思い出話をしはじめた祖母。しかし、次の瞬間には「犬食い」が行儀の悪いとされている理由を、韓国と比較しながら話してくれた。

そして、日本が正座文化なのに対し、韓国の公的な座り方が正座ではないことに言及した。左手を机の上の皿に添える日本の習慣は、そこからきているのだという。

身内話から作法・伝統の話を展開し、「私たちにとっては、このほうがきれいに見えるのよねぇ」と笑って話をしめる祖母。気品とでも言うようなものが、そこには見えた。

祖母が読書好き(基本読書好きな家系)だということは知っていたので、祖母への初任給プレゼントは、僕の愛読書(新品)にした。もちろん、それ以外にもあげたが。

祖母は喜んで受け取り、「初任給で家族に何かあげようっていう発想になるのが素敵なのよ。」と言いつつ、「見田宗介」の文字列を見て「この人知ってるわぁ。ありがとうね。」と笑った。

本好きな祖母が読了した書物で僕が最後に聞いたのは、ルース・ベネディクトの『菊と刀』だった。日本人論の古典だ。

「今読んでも充分、説得的な事を言っているわ。」

僕は大学生活で何冊の古典を読めただろうか。まるで読めず、挫折した経験が多い。社会人になった今、古典に手を伸ばす体力なんて残っていない。

そして祖母は、定期的に中部地方の戸建てに行き、農作業などをしている。「うごかなきゃ、なまるんだから」と、これまた笑って。

祖母は、なんでも吸収する。

何でも吸収したうえで、「あいつが悪い、あいつが正しいなんて、決めつけて言うことなんて、できっこないわよねぇ。」と呟き、

「まぁ、あんたはね、楽しく生きていきなさい。自分が楽しくなきゃしょうがないのよ?」と笑う。

何でも知ろうとし、何でも考え、何でも何かしらの形で受け入れる。

そして、「楽しく生きなきゃ」と言って、今日も元気に過ごすのだ。

どうです。僕の祖母、すごくないですか?


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