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就業直後の(ブル)シットジョブは光景として尊いという話。


就労支援員として仕事をし始めて、今日は初めての他社訪問。

他社訪問とは言っても、メインで他社の人とお話しするのは尊敬する先輩である。
僕はあくまでそのサポートで、横に座って記録をとり、ハングアウトに投げる。

その会社に内定が決まった我がセンターのクライアントが、就業前のインターンを始める。そのインターン初日に、我々スタッフは同行したのだ。

クライアントの男性は、これまでどのようなことを職業訓練として行ってきたかを、就業先の管理職に説明し、管理職の方はそれにフィードバックをする。そして、だんだん雰囲気を掴んでくれれば、と笑顔で応じる。

このクライアントの男性とは、センター内でちょくちょくお話した。とても勉強熱心で、リーダーシップも発揮できる方だった。
ぜひこれからも、職場でスキルフルに活躍してほしいと、心から願っている。

インターン前の顔合わせが終わり、クライアントの男性は早速業務を任されていた。業務は書類の仕分けである。

予定していた時間より早く面談が終わったため、僕らスタッフはその会社の中を見学したり、クライアント男性の業務を眺めたりした。テキパキと業務を進められていた。

その光景を見て、僕は勝手に泣きそうになっていた。泣きそうになっていたというのは嘘だが、脳味噌と胸にジーンとくるものがあった。

障害者就労支援のセンターには、働くことに困難を抱えた人がやってきて、働くための訓練を行う。そこに我々は相談支援という形で関わり、その人のより良い社会生活実現に向けてサポートを行う。

最初は、話すことすら億劫そうな人だったり、まるで時間を守らない人が沢山いる。彼らクライアントは、徐々にセンター内での訓練に慣れていき、それぞれのやり方でスキルや主体性を養う。

その集大成として、社会への一歩を踏み出す。その一歩が、ある人にとっては備品の消毒であり、ファイリングであり、書類仕分けであり、床掃除である。

グレーバーの書いた「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」において、
「シットジョブ」という概念が登場する。これはエッセンシャルだがひどく低賃金な仕事のことである。対して「ブルシット・ジョブ」は、何も生み出さない仕事のことである。客観的必要性に欠ける仕事のことである。そして、「客観的必要性に欠ける」と判断するのは、その仕事をしている本人である。ちなみに、この内容は不正確なので、興味がある人はぜひ買って読んでほしい。

何が言いたいかというと、その書類仕分けに取り組んでいたクライアント本人も、彼の日々の懸命さを見せてもらった僕らも、その書類仕分けという単純作業に対して、「シット!」とは叫べなかっただろうということである。

この書類仕分けを「書類仕分けという下請け作業」として記述して「問題」化するような考え方は、今後絶対にしたくないと思った。

それよりも、この書類仕分けという作業の手つきや、やり終えた後に「終わりました!」と報告する本人の表情、「ありがとう」と返された時の本人の気持ちなどを、繊細に記述していくような仕事が、僕のやりたいことである。

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