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卒業論文 後記

※卒業論文執筆直後に書いたものです。

卒業論文の執筆が、完全に終わった。
卒業論文の(公的な)提出自体は終わっていたのだが、自分が所属するゼミでは、その後もしばらく執筆期間が設けられる。
それも終わり、十数日の余暇を得た。それを経れば、自分は都内で就業することになる。

ただ、この卒業論文というもの、どうも一過性のイベントではないように感じる。
大学院に進む友人たちは当然、研究というものから距離をとる我々にとっても。
「一生の宝物」などという、ぬるい決まり文句では説明できない。
少なくとも自分は、卒業論文を書いたことによって、生涯耳元で囁いてくる背後霊に憑かれた感覚である。

それは自分を縛りもするし、縛りから解き放ってもくれるだろう。
縛られた方が楽な場合でも、そこから引っ張り出そうとするかもしれない。
やりたいことをしようとしても、そいつが足を引っ張るかもしれない。
この4年間で考えた事柄は、あらゆる先入観から自分を自由にしてくれた。
同時にそれらは、一生離れてくれず、自分の五臓六腑と脳髄を元気に駆け回るだろう。

何から始まったか。

それは、大きく2つの問題意識のようなもの。
高校まで生きてきて、悩みの系にいつもあった、詰まり物のようなもの。

「どうやって、みんなと一緒に生きていけばいいの?」
「なんで、やっちゃいけないことは、やりたくなるの?」

この2つが、ずっと詰まりに詰まっていた。
しかし、自分は高校の勉強を一生懸命やらなかったため、これらの詰まりについて「探求する」、「考える」という道を知らなかった。
そのため、音楽と小説で乗り切っていた。
小説は前者の詰まりを解消してくれる感じがしたし、音楽は後者の詰まりを取っ払ってくれる気がした。
しかし、「感じがした」、「気がした」だけである。
自分で考えて、向き合うことはしなかった。

卒業論文は、この2つの詰まりに、真摯に向き合う機会としてあったと思う。
偶々行った大学で、偶々会った先輩と先生、仲間。
そして、彼らとのつながりで知った、様々な本と方法。
自分は、人生で初めて「考える」ことを知った。

「なんで、やっちゃいけないことは、やりたくなるの?」
この問いを掲げて、ゼミへ入った。
高校生からの悪い癖で「奇を衒って注目を集め、笑ってもらう」という手段を用いた。
「やっちゃいけないこと」の事例として「ドラッグ乱用」を設定し、
自助グループと依存症患者支援、
覚せい剤の医療化、
ドラッグとナショナリズムの関係、
大麻自由化運動の展開など、色々と手を出していった。

しかし、高校までろくに勉強しなかった自分だ。
医学論文や英語論文が出現すれば、すぐに断念した。
正直、それらが出てくる頃には、飽きが来てやめていた。
(飽きてから続けるのが、研究の体力というものだろうに…)

このままでは駄目だと、一度頭をまっさらにした。
友人に誘われ、県立図書館に連れて行ってもらった。
そしてそこで、琴線に触れるタイトルを探した。
おそらくここで見つけた、以下の一冊が、背後霊の核である。

大澤真幸, 2008.『アキハバラ発:〈00年代〉への問い』

これに収められたもののうち、いくつかの論考を眺める。
研究論文ではない。柔らかく、自由、且つ鬼気迫る文章の数々。
秋葉原無差別殺傷事件の犯人・加藤智大の、あまりにも素朴な人間像。
あれほどの衝撃的な事件が、社会構造の中で、空しさと共に解き明かされていく。
特に大澤の文章。正直、「発想」が全面に押し出され、緻密さや重厚さはない。
ただ、この文章が頭にこびりついてしまった。
すぐさま、貸出コーナーへ走る(実際は歩いたよ)。

この大澤真幸の論考から、過去に読んだ見田宗介『社会学入門』に立ち返る。
真木悠介(=見田宗介)『現代社会の存立構造』も買った(これは挫折した)。
そして、第二の大きな出会いである『まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学』。
「シリアル・キラー」永山則夫との出会い。彼について綴られた本や、彼の手記などを取り寄せた。

当時、なぜここまで彼らに魅了されるのか分からなかった。
しかし今では、永山も加藤も、「どうやって、みんなと一緒に生きていけばいいの?」という葛藤を、少なからず抱えていたのだろうと思うようになり、親近感がわくようになった。

この時点で、「まっすぐな」研究にならないことは、確定していたのかもしれない。
僕は永山則夫や加藤智大に迫りたいと思った。
彼らが何を求め、何に怯えながら生きてきたかを考えたかった。
だが、無差別殺人に関する言説は、センセーショナルなものや雑なものが多く、学術的な知見からのものは多くなかった。
『アキハバラ発』も秋葉原事件については述べるものの、無差別殺人を包括的に論じてはいない。
無差別殺人をまともに取り扱った先人が、あまりにも少なかった。
それが、作法にのっとった学会誌などになると、さらに少なくなった。
研究として「まっすぐ」にならないのは明確だった。

結局卒業論文は、先ほど言った大澤真幸と、その師匠である見田宗介の2人に手をかり、理論的に犯罪の要因を考えるという形で、落ち着いた。
理論的と言っても、見田宗介の思想を概説し、それを自分なりに組み合わせ、犯罪要因論に見えるようデコレートしていくだけだった。
それだけだった。
正直、この構想で仕上げているときには、問いに向かっていく興奮のようなものは、冷めに冷め切っていた。
ただ黙々と、読み、まとめ、書き、貼る。その繰り返しだった。

そして最終的に、削りに削り、すっきりとした(簡素すぎるほどの)卒業論文が完成した。永山則夫の連続射殺事件と見田宗介「まなざしの地獄」を関連させ、見田のほかの著作とも比較検討をしながら、犯罪の要因論として結実させた。
引用の仕方が雑な部分、理解が追い付いていない部分、多々ある。
こういった穴を、とことん埋めて、地に足ついた論文にするのが、大学院進学組のやってきたことだろうと思う。
僕は雑すぎる。

つい最近、卒論の最終発表も終わった。「センス」というお言葉を用いて褒めていただいた。あまり自分には似合わないと感じた。
でも、そんなこと言ってくれたの、このゼミが初めてだし。
なんだか、温室育ちの怖がりで、愛情(=暴力)に怯え続けてきた僕も、
なにか、これから、社会でできそうな気がしてきて、
このゼミでよかったって本当に思えた。

卒業論文は、極めて簡単な結論で終わり、
僕は学びに救われた、よくいる学部卒業生になり、
そんなありふれた経験が、
とっても希望に満ちたものとして、
今は感じられている。

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