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村上春樹著『国境の南、太陽の西』読書感想文

作者はジャズバーの経営者から小説家に転向したという経歴を持つ。好きな事を仕事にしたいと思い、音楽か小説かの選択の中で音楽を選んだそうだ。文学部演劇専修出身の作者は、飲食店を経営しながらも、心の片隅ではビジネスをする事に違和感を抱き、本当はずっと小説家になる夢を描き続けていたのではないだろうか。


この物語は、小説家にならなかった経営者の村上春樹に、小説家の村上春樹が当てた物語の様に思えた。かつて抱いた夢を捨て、現実との折り合いの中で選択した、経営者という立場の村上春樹が抱える欺瞞を、小説家の村上春樹が物語を描くことによって、その欺瞞を自ら治癒している様だった。


経営が成功し、円満な家庭を持ちながらも、ハジメは自分の置かれている状況にずっと違和感を抱いている。そして、経営者という立場でありながらも、彼の言葉の節々には、経営するということへの疑念と、芸術に対する強い憧れを感じた。


引用始め 


「まずまずの素晴らしいものを求めて何かにのめり込む人間はいない。一の至高体験を求めて人間は何かに向かっていくんだ。そしてそれが世界を動かしていくんだ。それが芸術というものじゃないかと僕は思う」

「でも今は少し違う。今では僕は経営者だからね。僕がやっているのは資本を投下して回収することだよ。僕は芸術家でもないし、何かを創り出しているわけでもない」(p148)
 

引用終わり


自らが本当に望んでいるものと、家庭を持つ経営者という現実の立場の狭間で、ハジメはずっと孤独を抱えている様だった。彼が社会に順応しようと、変わろうとすればするほど、その孤独は深くなるばかりだった。なぜなら彼が本当に望んでいるものは、社会とは別のところにあるからだ。


人生には"本当に大事なもの"というものがあると思う。しかし、それがその時に気付けるかどうかは分からない。ハジメの様に歳を重ねてから初めて、それがなんとしてでも守らなければならなかったものだったと知ることもある。そしてそれを求めることは時として、ある種の反社会的な要素を含んでいるかもしれない。ハジメにとってのそれは島本さんであり、村上春樹にとってのそれは物語を生み出すことだったのだ。

村上春樹は小説家になったが、ハジメは島本さんと結ばれることはなかった。それは、小説家になる夢を諦めた経営者の村上春樹の姿の様だった。

島本さんを失い、再び自身と向き合う事を決意するハジメが、これから向き合うことになるであろう自身の欺瞞はどこまでも暗く、重い。だが物語の締め括りに、彼の背中にそっと手を置く描写がほんの少し、希望を与えてくれた。その手は、小説家になる夢を諦めたジャズバーの経営者の村上春樹に、小説家の村上春樹が置いた手なのかもしれない。たぶん。

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