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大江健三郎著『個人的な体験』読書感想文

子供を持たない私だが、昔からふとした時に思う事がある。それは、もし自分の子供がなんらかの奇病や重度の障がいを負って生まれてきたとしたら、自分はその子供をどの様に愛する事ができ、子供の人生はどの様なものになるのか、ということである。

実際に子供が生まれれば、その子供は他ならぬ我が子であり、いかなる健康状態であっても変わりなく愛する事ができる、という意見もあるだろう。そこには私の想像を遥かに超えた苦しみが、そして喜びがあるのかも知れない。それは実際に当事者にならない限り分からない。

テレビのドキュメンタリー番組で見る、なんらかの障がいを持った人や、その親の話、障がい者施設で働く友人達の話からすれば、当の本人にとってそれらは当たり前のことであって、偽善的ないらぬ同情は不服であると遠回しに言われた。

昔、とあるきっかけで全盲の人と一緒に働いた事がある。目が見えないのに働けるのか?という私の想像力は陳腐なもので、まるで目が見えてるかの様にテキパキと働くその人の姿を見て、完全に舐め切っていた自分を恥じた。そういう目で生身の人間を判断してはいけないと思った。

だが一方で、少し前に聖書を買う為にクリスチャンが経営している聖書専門店に行ったところ、障がいをもった小さな赤ちゃんを連れた若いお母さんに会った。私は凄く複雑な気持ちになった。勿論、どういう経緯であのお母さんがこの店に来たのかは知らない。それこそいらぬ勘ぐりである。だが正直私はあの時、あの若いお母さんと赤ちゃんに心底同情していた。

依存を断ち、夢を諦め、我が子に輸血をする献身的なバードの姿が、物語を締め括る様に勇ましく描かれている。

人生のあらゆる艱難辛苦を無かった事にし、割り切る術を持つ事を「大人になる」とする輩がいる。だが、それらを無かった事にはせず、あらゆる苦しみを背負いながら生き続けることが「大人になる」ということだと私は思う。

バードの戦いはまだ始まったばかりである。


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