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深沢七郎著『東京のプリンスたち』読書感想文

1950年代後半の東京を、音楽を拠り所にして生きるプリンス達。"煙草の煙が靄のようにこもっているから音が逃げない"場所で、彼らは10代という、人生においてある種の貴重さを秘めた時代を、煙草の煙とロックンロールと共に無為に過ごす。彼らはロックンロールを聴きながら天文学の本を読み、親と学校の文句を言いながらエルビスの食生活と包皮事情について語る。若さに一貫性というものはない。あるのは、有り余る自意識であり、それが怒りとなり、性欲となる。そして彼らは音楽によってそれらから自らをなんとか律している。そんな彼らの姿は、私にとって懐かしいものであり、紛れもなくいつかの私自身の姿だった。

本来、音楽とはその時その場所でしか存在し得ない一回性の神秘的な存在だった。ところが今や複製技術が発達し、世界中の音楽を何時でも何処でも聴くことができる。その恩恵を嫌というほど味わい尽くしているので安易に否定することはできないが、何か本質的なものを失っているのではないかと思うことがある。東京のプリンス達が音楽と共に青春を送ったのは1950年代、レコード全盛期だ。携帯プレーヤーも定額配信サービスもない時代、音楽を聴くためになけなしの小遣いを握りしめ、茶店に足を運ぶ彼らの姿を、早く家に帰って音楽を聴きたいなあ、と思う彼らの姿を、羨ましく思った。大好きなエルビスの新曲が発売されれば、大あわてで友人がドーナツ盤を抱えて店に駆け込んでくる。そして流れている音楽について、知ったようなことをあーだこーだと言い合う。それらの時間は、たとえ人によっては無為なものに映ったとしても、これこそがかけがえのない時間なのだと今の私は思う。


暴力など振るう奴らはミュージックのない奴にちがいない(p.136)と、山崎は言う。自分ではどうにもならない怒りや、生きる上でのなんやかんやから、音楽に救いを求めた若者達がそこにはいた。そして今も、いつの時代も、音楽は人間を救っている。


ミュージックはグレートだ。

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