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信州読書会によるトーマス・マン著『トーニオ・クレーガー』の読書会を終えて。

若い頃にあれほど感動したものが、歳を重ねてから触れるとつまらんものになっている事がままある。あれだけ自分の中で輝き続けていたものが、歳を重ねてから触れたばっかりに、ゴミ同然に自分の中で変わってしまった、ということがある。これは結構モチベーションが削がれる。わざわざ触れなければ良かった、と思う。


昔聴いていた音楽をたまに聴く事がある。音楽はあらゆる聴き方があるが、そういう時は大抵ノスタルジーで聴いている。これは多分一番安易な音楽の聴き方で、当時のことなんかを思い出し、良い気分になって酔っぱらう。これであんなに興奮してたんか…とちょっと恥ずかしくなって悦に浸ってみたりする。
若かったなーと。
嫌な大人だ。


それでも、当時何気なく聴いていたもの、読んでいたものが、今改めて触れてみると、こんなに良かったんか!と思う事もある。何にも知らずに興奮していたものが、色々知ってしまってからも興奮できた時、それが自分にとっては良いもの、なんかなと思ったりする。


昨日、信州読書会によるトーマス・マンの『トーニオ・クレーガー』の読書会に参加した。


20歳くらいの時にのめり込んだ、自分にとって特別な作品だ。感想文にも書いたが当時は本当に、主人公のトーニオは俺だと思っていた。作品で描かれるあらゆるエピソードに共感し、あらゆる芸術論にバッチバチに頭をヤられた。


自分の中で特別な作品のまま、月日が流れ、今回久しぶりに本書を読んだ。


楽しみな反面、不安もあった。今読んでも素晴らしい作品に違いない、という思いと、あれだけ輝いていたトーニオ・クレーガーがつまらなくなっていたらどうしよう、という思いがあった。


読後は、なんとも言えない気持ちになった。
トーニオの生い立ちや苦悩は共感できる部分もある。だが、彼の人を見下す態度、芸術論は少なからず鼻についた。今の俺とは違うなと。あの頃の様に、決して心の底から"トーニオは俺だ"、とは思わなかった。昔の自分を見た様な気がして、少し恥ずかしくなった。


でも、初めて『トーニオクレーガー』を読んだあの時、確かに心の底から"トーニオは俺だ"と思った自分を否定したくはなかった。受け売りの芸術論を振りかざしていた自分を易々と否定したくはなかった。若かったな〜という言葉であの時の気持ちを片付けたくはなかった。それこそ当時の自分が最も憎んでいた大人の在り方だ。

感想文は悩んだ挙句、自分がどれだけこの作品が好きか、ということだけを書いた。思いだけが突っ走って、読み直してみても空回り気味だ。あの時の感動とはなんか違うな…という思いがあったけど、"半分嘘で半分本当だ"、と言う言葉で誤魔化した。正直に言えば、あの頃の様には読めなかった。


読書会では様々な感想が語られた。この作品の人の感想を聞くのは初めてで緊張した。緊張と共に、この作品を何らかの形で否定されたりでもしたら自分は傷付くだろうな、と思っていた。

そんな中、主催者の宮澤さんが、この"作品は
ユーモア小説だ"と喝破した。
これはぶったまげた。 


すぐ影響される私の癖は今でも変わっていないのかもしれないが、すぐに納得した。これは当時の自分では理解出来なかったと思う。


とすると、カフカが愛読していた事も、この作品が名作だと言われる所以も分かる。この作品が、ただ拗らせた芸術家の一人語りだとしたらそこまで評価されていないだろう。でなければわざわざ、リザヴェータに芸術論を否定させたり、事実であるにせよ、過去に自身が詐欺師と疑われたエピソードを挟んだりしない。


芸術に憧れ、芸術の力を信じる男の姿を、マンは愛とユーモアでもって描いている。ただ、芸術にかぶれた滑稽な男を描いているのではなく、トーニオは紛れもなくかつてのマン自身であり、そして、この物語を描いているのは、他の誰でもないその過去の延長線上に存在する今のマン自身なのだ。

だから、半分は嘘で半分は本当なのだ。

トーニオは確かに滑稽だ。だが、マンは本当に心の底からトーニオの事を愛している。
この部分がこの物語では何よりも肝心だ。


私は芸術云々を語る際に度々使われる"パンツを脱ぐ"(己の腹の内を見せる)という言葉を使って感想文を書いた。
読書会を振り返ってみると、この作品の魅力は、ただトーマス・マンがパンツを脱いだだけ
なのではなく、そのパンツの脱ぎ方の巧妙さ、絶妙な脱ぎ方にあるのではないかと思った。


パンツを履いているか、履いていないか、ではなく、履き方、脱ぎ方の妙がこの物語にはある事を読書会は教えてくれた。 


あの頃以上にトーマス・マンが、トーニオ・クレーガーが好きになった。

読書会のサムネとなっているゴツい指輪をしてキメているマンは、果たしてパンツを履いているのか履いていないのか、読書会終了後もその事ばかり考えている。

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