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ドストエフスキー著『地下室の手記』読書感想文

《美にして崇高なるもの》を追い求め続けた男は、それがこうじて屈辱感を快楽として味わうようになる。物語前半部で語られる、彼が快楽を得る為になされる様々な奇行や妄想は、笑えるが、笑えない。自身を保つ為に行われるそれらは、決して私にとって他人事ではなかった。

彼が披露する思想、哲学は確かに高尚だ。
だが、彼が追い求める《美にして崇高なるもの》とは、彼にとっては実生活からの逃げ道であり、思想は彼を孤独にするばかりだった。

そんな彼を激しく抱きしめた女は売春婦のリーザだった。彼の唯一の理解者もまた、売春宿という地下室に住む人間だった。一方は思想に頭をヤられた孤独な男、もう一方は売春婦となり体を売る女。共に社会の外側でしか生きることができないからこそ、二人は出会ったのかも知れない、というとなんともロマンチックだが、訪れた彼女に五ルーブリ札を握らせようとする彼はもうどうしようもなかった。結局、それまでに何度もあったように、自分の愚かさを、自分の真の価値を思い知らされる彼であった。彼女を傷つけ失った彼は、やはり彼でしかなかった。差し伸べられた手も拒み、地下室に閉じこもり思索にふけることを彼は選んだ。彼を救う事ができるのは、彼以外の人間ではなく、彼が自身の思いをこうして書き綴ることしかないのかもしれない。

"最も個人的な事が、最もクリエイティブなことだ"
これは映画監督マーティン・スコセッシの言葉である。

この物語を書いている最中、恥ずかしくてたまらなかった、と彼は言う。それは、この物語が彼にとって最も個人的なことであり、そして最もクリエイティブなことだからだろう。新潮文庫版の江川卓による解説によると、この『地下室の手記』は、「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」とジッドによって評され、著者にとって一つの転換期となった作品である事が書かれている。それはやはり著者にとっても、彼の存在が、最も個人的なことだったからなのかも知れない。

そして最後に彼はこんな質問を読者に投げかける。

(引用始め)

ところで、ひとつ現実に返って、僕から一つ無用な質問を提出することにしたい。安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか?というわけだ。さあ、どちらがいい?

(引用終わり)p.245 新潮文庫

先に、この物語を書いている最中、恥ずかしくてたまらなかった、と彼は言う、と書いたが、
それはこっちの台詞である。そんなものを読まされ、挙句、感想文まで書いている人間の気持ちにでもなってもらいたいものである。今までの私の人生の中で、群を抜いて恥ずかしい質問だ。どんな質問なんだ。答えるのも恥ずかしい。

正直に書こう。私は高められた苦悩を選ぶ。

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