見出し画像

森鴎外著『鶏』読書感想文

東京から小倉へと着任した主人公の石田と、彼を取り巻く人々との日常的なやり取りの中で、近代化の真っ只中であった当時の日本における都会で暮らす人間と田舎で暮らす人間との対比がユーモラスに描かれている。

石田は体の洗い方から使う石鹸にいたるまで、日常生活にあらゆる規律を持っている。そんな石田の行動を、小倉の人々は口を揃えて乃木希典を引き合いに出し、ケチだの馬鹿だのと彼を罵る。鳥を生かすことを選んだ石田と、鳥を食うことしか考えていない小倉の人々の姿に、両者の在り方の違いが顕著に表れている。

物語序盤、石田という人物は掴み所がなく、感情の起伏も平坦で、黙々と自分の規律を守る姿ばかりが目についた。土産物を受け取らないというのも、彼にとっての自己規律なのだろう。田舎での無用な人間関係は避けている様に感じた。

壁から顔を出し、怒鳴りつけてくる女がいるが、石田は女の言葉がやがて枯渇するのを知っており、女の顔を見ながらかつて見た見世物小屋を思い出す。怒鳴り散らす女と、それを冷静に分析する男、というとシュールな笑い話だが、ここぞとばかりに妙に饒舌になるのは、彼が心の内では田舎の人間を見下しているからだ。

彼が規律を守り続けるのは、田舎での生活の中で、自分が都会の人間である事を自負するためという一面もある。それまでの周囲の人々に対するそっけない態度もその表れのように感じた。乃木希典を意識しているのも案外図星だろう。

そんな彼であったが、物語終盤、新しく雇った下女の春の活発さや、虎吉のやり口に素直に感心を示す。道具を一新し、鶏も古い道具も虎吉にやったのは、彼らに対する理解の表れだ。都会者と田舎者、お互いがお互いの真意を理解したわけではないが、春から伝えられた虎吉の言い分に笑みを見せる石田も、「雛なんぞはいらん」と相変わらずそっけない態度をとる石田も、以前の彼とは違っていた。新たな人間関係を築いた彼にはもう雛は必要なかった。

彼を取り巻く人々も、人々の思いも、季節の変化と共に移ろっていった。
そんな移ろいと共にやがて花を咲かせる百日紅が美しかった。

この記事が参加している募集

#読書感想文

191,457件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?