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うっかり先生、インクルーシブ教育の見学に行く 一人も見捨てない社会をつくるために

2018年度に学研発行・実践障害児教育にて10回に渡り連載させていただいたコラムを、編集長に許可をいただきこちらへ掲載いたします。

ADHDうっかり元教師のいつもココロは雨のち晴れ <第4回 2018年7月号掲載>
うっかり先生、インクルーシブ教育の見学に行く 一人も見捨てない社会をつくるために

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座っていられることが学び?

障害のあるお子様をお持ちの多くの親御様が悩まれるのが、お子様の就学先をどうするかということではないだろうか。ハルの診断が出た時、私が思ったのはそのことだった。それは自分が教員をしていたからというのも関係しているだろうと思う。


ある年に受け持ったB君は、人懐っこくて、授業中にも「はいっ!」と元気に手をあげて発表するお子さんだった。45分の授業時間に立ち歩くということも無かったし、お友達ともめるということもなかった。しかし、私の指導する一斉授業では、理解に難しい面があった。自分の力量不足はもちろんのことなのだが、彼は言葉のやりとりが伝わりにくい面があったのだ。彼のために個別の課題を用意したり、彼の発言内容の中から、授業に関連した部分を私が拾って繋げたりもしていたのだが、毎時間彼の個別課題を用意して、フォローするということは私にはできなかった。


2学期に入って少しした頃から、彼は次第に学校を休みがちになっていった。それは例年のことだったようで、年度当初は張り切って登校が続くのだが、その後徐々に学校から足が遠のいてしまうようだった。1年間、彼のおかげで周囲の子ども達はたくさんのことを学んだ。クラス全体のあたたかな雰囲気、互いに助け合おうという意識、それらを子どもたちが構築していく中で、彼の存在は大きかったと感じている。

だけど、彼自身はどうだったのだろう。45分間椅子に座ってそこにいることは、彼にとって苦痛ではなかったか。彼の貴重な人生の時間を共有させていただいたのに、私は一体そこにどれだけ寄与できたのだろう。私にはもっとできることがあったはずだ。彼が心から楽しめる、学校が楽しいと思える、充実感を得られる場所を作るために、自分ができたことがもっともっとあったはずだ。彼とみんなと過ごした1年間が終わった後も、私はずっとそのことを考えていた。


一人も見捨てない教育って?

退職を決めた最後の年、他校での研修に参加した。インクルーシブ教育を研究している小学校への訪問だった。B君や、様々なユニークな子ども達との出会い、そして息子の自閉、自分のADHDについての心療内科通院を経て、私はインクルーシブ教育や、特別支援教育に関心を持つようになっていた。

そこでは『学び合い』という学校教育の考え方を取り入れた実践が紹介されていた。私は度肝を抜かれた。そして、これだ!と思った。それは「一人も見捨てない」という考え方を共通認識として、子ども達が課題達成のために協力して学んでいくという授業だった。子ども達は全員の課題達成を目指し、自由に動き、話し合い、教え合う。言わば「立ち歩いてもいい授業」である。しかもこの授業は障害の有無に関係なく、皆で一緒に学べるのだと言う。

私はすぐに書籍を買い込んで読み漁り、この授業を提唱されている上越教育大学の西川純教授にメールでアポを取った。研究室にお邪魔させていただくお約束をするためである。このあたりのフットワークの軽さは、ADHD特性を有効に活用できていると言える。ちなみに、私の住んでいるところから新潟までは、新幹線で移動する距離感である。そこまでして私が先生に直接お聞きしたかったのは、障害の有無に関わらずというのは、「障害の重い・軽いに関わらず」なのかを確認したかったのだ。そして、先生の答えはYESだった。


B君の、その後

退職後、街中でばったりB君に出会った。すらりと背が伸びて、精悍な顔立ちをしたその姿に、あのあどけなかった彼の面影は無かった。それでも私は彼がB君だとわかった。そのくらいに、私は彼のことを折に触れては思い返していたのだ。

私が声をかけると、彼はちょっと驚いた表情になり、アップビートな音楽が漏れ聞こえてくるイヤホンを外した。「元気?B君は漢字が好きだったよねぇ。」などと話すと、B君は「覚えてるんだ。僕のこと。」と言った。そして、卒業後の進路のことなど、ぽつりぽつりと言葉少なに教えてくれた。私はなんだか胸がいっぱいになり、「そうか。B君に合った場所で、学べるといいよね。」と返した。それだけ言うのが精いっぱいだった。


再びイヤホンを付け、ポケットに手を入れ、さっそうと駅に向かう彼の後ろ姿を見送りながら、私は自分の傲慢さを恥じた。所詮私一人でできることなんて、知れているのだ。彼は彼に繋がる人と、彼自身の力で、日々成長を遂げている。しかしその一方で、私にできたはずのことは、やはりある。それはもっと子ども達の力を信じ、子ども達と一緒に様々なことを考えれば良かった、ということだ。その具体的な方法のひとつが、今の私にとっては『学び合い』なのだと感じている。


「B君に合った場所」って、一体どんな場所だろう?それは、どこかにある特別な場所じゃなくて、みんなにとって心地良い、みんなの場所であるべきだと私は思う。1人も見捨てない教育の先には、1人も見捨てない社会がある。それは、B君にとっても過ごしやすい場所を意味している。「みんな違ってみんないい」そういう社会を作っていくために、今自分にできることは何かを考えている。


参考文献:
・クラスが元気になる!『学び合い』スタートブック 西川純 学陽書房
・インクルーシブ教育ってどんな教育? (インクルーシブ発想の教育シリーズ) 青山新吾ほか 学事出版
・『学び合い』で「気になる子」のいるクラスがうまくいく 西川純・間波愛子 学陽書房
・「特別支援学級の子どものためのキャリア教育入門 基礎基本編 義務教育でつける「生涯幸せに生きる力」西川純・間波愛子 学陽書房


※元になったブログ記事

・私も運営に参加している『学び合い』神奈川の会、次回は11月に開催予定です。今回は模擬授業はありません。

・西川研究室への見学、先生へのご質問はこちらから


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