いつもそばにコーヒーがあった。・3
街とコーヒー
1999年末、再上京した街は下北沢。
仕事の関係で師事することとなる、とある人の事務所と自宅の近くへ - と云うことで結果としてたまたま選ばれた街だった。
その仕事の繋がりで、後々仕事以外で何かとお世話になることとなるある人から、ある日、コーヒーに誘われて行ったのが「聖葡瑠」と云う喫茶店だった。
当時はまだ分煙とかでは無くて、全席喫煙可の店だったけれど、第一印象は「マナーの善い」愛煙家が多い喫茶店 - だった。更に言うと、客同士がつくる - と云うか、醸し出している店内の空気感が(これはまぁ喫煙に限らず)所謂「マナーの悪い人」には居心地の悪さを感じさせていた様にも思う。
だからといって常連だけが居心地が良い場所には決してならない、何とも言えない程良い「距離感」がある場所でもあった。
客層は幅広く、近隣の人から、所謂「人気の街」に遊びに来た人、そしてごく自然に著名人が、たとえ満席であっても、それぞれがそれぞれの時間軸で過ごしていた。
そこに「自分」も居る - と云うことそのものが、また何とも心地良かった。
余談だけれど、僕が通い始めてから数年後、その店が30年以上営んでいた「場所」から、とある理由で突然移転されることとなるのだが、その移転迄の間は特にほぼ毎日、多い日には1日2、3回は通っていた。
当時住んでいたアパートから徒歩4、5分と云う近さもあったかも知れないけれど、自分にとって当たり前の日常に無くてはならない場所となっていた。
と同時に「喫茶店」と云う場所の持つ機能と云うか効能と云うか、また同時にその街におけるそういった場所の持つ意味の様なものを少し意識した最初だった様に思う。
カフェ・マニア
時は同じ下北沢に住んでいた頃、インターネットがISDNからADSLになった。その頃は正直まだインターネットで何が出来るのかもわからず、知人の勧めのままに初めてパソコンを買い、ネットを契約し、とりあえず色々検索したりして見るようになるのだけれど、その頃に閲覧していたサイトの一つが、川口葉子さんの「東京カフェマニア」だった。
当時のカフェブームもあって、川口さん著の「東京カフェマニア」や「東京カフェ散歩」に自分好みに合いそうな店を見つけては、時間を作って出歩く様になる。それが2001〜2002年頃のこと。
歩くルートは大抵決まっていて、とりあえず恵比寿へ出て、写真美術館に立ち寄ってから代官山〜渋谷〜青山通り〜表参道〜千駄ヶ谷〜代々木〜新宿と、のんびり歩きながら、途中途中でカフェ・喫茶店・珈琲店でコーヒーブレイクをしつつ、最後の新宿ではタワーレコードを物色してから帰路につき、下北沢の聖葡瑠で〆と云うのが、定番だった。
勿論、青山通りを通る時には大坊さんのところで一杯というのが、自身にとって一つのルール、否、掟の様なものだった。
あの頃は本当にカフェが多かったように思う。近年のとはまた違ったベクトルで、様々な趣味趣向のカフェが、至るところにあった気がする。
そして、上手い表現が見つからないのだけれど、そういったカフェ・喫茶店・珈琲店(の存在)に、どこかで救われている様な感覚を憶えていた。具体的にどうこう説明は出来無いのだけれど、ただ「街」にそう云う場所が在ることは、ありがたいことなのだ。これは店を持った今でもそう思う。
ところで、かなり時間が飛ぶのだけれど、自分が珈琲屋をはじめようと思った時、幾つか掲げたささやかな目標の一つが、川口葉子さんに取材して頂ける様な店を、だったのだけれど、今の実店舗を持つ前のシェアキッチンでの活動期に、思いがけずそれが叶うこととなる。
もう一つ。
インターネットを始めたばかりの頃、「blogランキング」を見ていて、あぁこの人のイラストの世界観や空気感、とても好いなぁと思ったイラストレーターさんがいて。
それが先頃、go café and coffee roasteryの1周年のお祝いに店舗のイラスト作品を描いて頂いたオオノ・マユミさん。
まぁこう云うことを書き出すとキリが無いのだけれど、結局僕のそばには、そして誰かとの間(そして縁)には、いつもいつも何かしらのカタチで「コーヒー」が在る。
思うに「コーヒー」と云うものは、きっとそう云うものなのだ。
少なくとも僕にとっては。
(続く