go café and coffee roastery

寫眞家 photographer ・焙煎家 roaster ・実店舗/東京都三鷹市下連雀4-15-26 JR三鷹駅南口から徒歩約10分 三鷹消防署下連雀出張所隣・寫眞家である店主の焙煎家としての活動と珈琲とその周辺・http://go-cafe.jp (web)

go café and coffee roastery

寫眞家 photographer ・焙煎家 roaster ・実店舗/東京都三鷹市下連雀4-15-26 JR三鷹駅南口から徒歩約10分 三鷹消防署下連雀出張所隣・寫眞家である店主の焙煎家としての活動と珈琲とその周辺・http://go-cafe.jp (web)

最近の記事

いつもそばにコーヒーがあった・6

シェアキッチン 僕が参加させてもらうことになったシェアキッチンは、武蔵野市役所の近くで、最寄り駅はJR三鷹駅。最寄りと言っても駅からは徒歩18、9分程と、まぁそれなりに距離はあるロケーション。 店舗参加メンバーの共用の客席エリアを囲む様にキッチンブースが幾つかあり、何人かが同時進行で活動出来る、謂わばちょっとしたフードコートの様な要素のある場所。 僕が持ち込んだ手廻し式の直火型焙煎機は、こと深焙りの焙煎時など、焼き鳥屋か鰻屋かと云うくらい煙まみれになることもあり、他のメン

    • いつもそばにコーヒーがあった。・5

      焙煎と暗室 所謂「カフェを開業する人向けの学校」と云うところに通い、自分が将来持つ(であろう)店のイメージの解像度を約一年掛けて上げていく日々が始まって半年も過ぎた頃。 さて、自分の店のコーヒー豆をどうしようかと、ある時ふと考えた。 そう、店を作ろうと思った初期の頃は、まだ「自家焙煎の珈琲屋」をやろうとは考えてもいなかった。 (実は全然違うメニューの店を考えていた。それはまた。) ある日、友人・甲斐さんの店、BLACKWELL COFFEEへ行って何となくコーヒー豆のこ

      • いつもそばにコーヒーがあった。・4

        初めての一人暮らしで買ったもの 時は前後して、大学へ入った時の話から。 友人たちは炊飯器だの洗濯機だの、所謂生活必需品を先ず1番に買っていたのだけれど、僕の場合はカリタのコーヒーミル(*写真)とペーパードリップのセットだった。当時周りの皆には何でコーヒーの道具が1番なのかと笑われたものだったけれど、僕にとっては間違い無く何よりも必需品だったのだ。 その時買った「道具」は、その後、何年も何年も大切な相棒となる。 店を持つ準備で電動ミルを買うことになる、つい数年前まで。 と

        • いつもそばにコーヒーがあった。・3

          街とコーヒー 1999年末、再上京した街は下北沢。 仕事の関係で師事することとなる、とある人の事務所と自宅の近くへ - と云うことで結果としてたまたま選ばれた街だった。 その仕事の繋がりで、後々仕事以外で何かとお世話になることとなるある人から、ある日、コーヒーに誘われて行ったのが「聖葡瑠」と云う喫茶店だった。 当時はまだ分煙とかでは無くて、全席喫煙可の店だったけれど、第一印象は「マナーの善い」愛煙家が多い喫茶店 - だった。更に言うと、客同士がつくる - と云うか、醸し出し

          いつもそばにコーヒーがあった。・2

          ブラックアイスコーヒー 美大を目指しながら初めての受験に失敗した僕は、暫く札幌で浪人生活を送ることとなる。 現役の頃に冬季講習から参加していたこともあってか、まぁ良いのか悪いのか同じく落ちた仲間たちが必然的に友人となった。 そして授業が終わると、家へと帰る前に「とりあえず」コーヒーでも飲みに行こうか - と云うことが、日々の当たり前のシーンとなるまでに、たいして時間は必要なかった。 ある日、友人の一人が、「GOちゃん、”北地蔵“って知ってる?」と聞いてきた。 その日、正直あ

          いつもそばにコーヒーがあった。・2

          いつもそばにコーヒーがあった。・1

          一番最初のコーヒーの記憶は、何歳の頃のものですか? 物心ついたであろう2、3歳の頃。 プジョーの木箱のコーヒーミルが我が家にあって、ゴリッ、ゴリッと、父親がコーヒー豆を挽いていた。 その父親を真似て自分もそのミルのレバーを回そうとするが、父親の様に簡単には回らない。 小さな手で木箱を押さえながら、もう一方の手でレバーを回すことがどうしても出来ない僕を見て、頑張れ頑張れと笑う父親の笑顔が子どもながらに悔しくて、両足でミルの木箱を挟み込んで、両手で必死にレバーの赤い取ってを回し

          いつもそばにコーヒーがあった。・1